レポートを書き終えて顔を上げると、雨音が聞こえた。
いつから降っていたのだろう。2月だけれど、雪が降るほど寒くはないんだな。そう、ぼんやりと考えながら携帯を手に取って、新着メールがあることに気が付いた。
「土井先生からだ」
受信時刻は17時23分となっている。今はもう23時過ぎ。
夕方から急にバイトのシフトが入って慌てていたので、メールを見逃していたようだ。
本、読み終わった?
急用ではないことにほっとしながら返信を打つ。
読み終わりました。少し切ないけど、優しくて温かいお話ですね。SFって難しいのばっかりかと思ってて、土井先生にお借りするまで読んだことなかったです。
読み返して、少し迷いながら送信した。
お疲れさまです、とか何か挨拶らしいことや、返信が遅れた言い訳を書こうかと迷ったけれど、なんとなくやめておいた。
土井先生へのメールは凄く迷う。先生からのメールが短文でも、短文でうまく返せない。素っ気なくて冷たいとか、つまらないって思われるんじゃないか、なんて考える。だからといって、気の利いた文章も打てやしない。伝えたいことは沢山あるけれど、上手く文章にならないし、いざ文章にしてみても変なことを書いている気がして送ることができない。
打って消して、また打って、また消して。何度も繰り返して送るのは結局、曖昧で当たり障りのない文章のつもりだ。先生が読んでどう思っているのかは、全く分からないけれど。
いつになったら自然にメールが送れるようになるだろう。自分に呆れる。
机の上を片付けていると、携帯が光ってメールの受信を知らせた。
今、帰宅。降られてびしょ濡れだ。山田先生のとこか宿直室に泊まればよかった(^_^;)
本、気に入った?
次はいつ会おうか。11日はどう? バイト?
唐突に現れた顔文字に驚いた。先生にしては珍しい。どうして急に顔文字を入れたんだろう。たまたま予測変換に出てきたからかな。
にやにやしながら、返す文章を考える。
土井先生が出勤前や帰宅時にメールをくれると、私は凄く嬉しい。昼休みや放課後に先生から届くメールも好きだ。先生の特別な存在になっている気がするから。
でも本当に特別かどうかを確かめる術はなくて、悲しくなるときもある。
メールのやりとりをして、たまに会って、それが充分に特別だと思う日もあれば、知り合いの延長線上だと思う日もある。しかもただの知り合いではなくて、先生と卒業生だというのがややこしくて、すごく面倒くさいところだ。
私たちは先生と生徒以外の形では知り合えなかっただろうけど。
風邪ひかないでくださいね。学校じゃなくて山田先生のお宅にいらしたんですか?
本、気に入りました。他にもあんな感じの本があったら貸してください。
11日は空いてます!
送信して、携帯を机に置いた。
強い風が窓に雨粒を打ちつけている。
急いでお風呂に入った。ついでにお茶を淹れて部屋に戻っても、メールはまだ返ってきていなかった。
「送ったの、何分前だっけ?」
10分、20分、間が開くのは当たり前。私だって夕方に着たメールにさっき返信したんだし。そう気にしない振りをしながらお茶を飲んで、雑誌を開いた。
更に20分が経って、雑誌のめぼしいページは全て読み終わった。目に入った読者投稿の恋愛話が自分のそれとは違う、とても幸せそうな内容だったので、それ以上読む気がしなくなり雑誌を閉じた。
土井先生、寝ちゃったかな。もしかして、山田先生の話題はスルーした方がよかったのかな。私、何か変なこと書いちゃったかな。
ぐるぐる考えながら、送ったメールを確かめようと携帯をいじっていると、先生からのメールが届いた。
ごめん、風呂入ってた。
じゃあ11日にカフェで。14時でいい?
同じ作者の本は持っていないけれど、似た雰囲気の短編集があるから持っていくよ。
山田先生は寮住まい。用事があって寮に寄ったら、その流れで初等部の補習プリントの手伝いをさせられてきました。
疲れた!
別にそんなことで謝らなくていいですよ。気にしていたくせに申し訳なく思いながらも、先生の気遣いが嬉しくてたまらない。
それなのに「本当にお風呂だったのかな?」なんて疑ってしまう自分が嫌だ。
どう返そう。今日はもう、これでメールは終わりかな。返事に悩んで、先生からのメールを改めて読んでみる。
「疲れた!」という一言が、すごく可愛い。実際に会う時はもっと教師らしいのに、メールでは時々そうじゃなくなる。文字だけだから私が勝手にそう思うだけなのだろうか。
しかし、初等部にも補習があることに驚いた。しかも土井先生がそれの何を手伝うのかがすごく不思議だ。けれどそこに食いつくのはおかしい気がする。
文章というか、コミュニケーションの得意な子だったら、きっと自然に何でも訊けるだろう。高校時代にも、そういうタイプの子はどの学年にもいた。彼女たちが土井先生と楽しそうに話していたのを思い出す。先生はいつもにこにこして、彼女たちに受け答えしていた。
昨日も今日も恐らく明日も、私の在学中と同じように、明るくて元気な女の子が土井先生に話しかけるのだろう。そう考えると、胸の奥がじりじりと苦しくなった。
例え高校生に戻れたとしても、先生にあんな風に話しかけることなんて私にはできない。何度そのチャンスがあっても、私にはできないだろう。
そう考えると、土井先生とこうしてメールをしているのは夢みたいだ。
11日の14時ですね。楽しみにしてます。
遅くまで山田先生のお手伝いだったんですか!? お疲れさまです。大変でしたね。
ゆっくり休んでくださいね!
当たり障りのない、素っ気なさすら感じるような文章。でもそれ以外送ることができずに、素直に送信した。
楽しみにしてます。その一言程度が私の精一杯。
土井先生と会う度、メールが届く度、私は一喜一憂してどんどん先生を好きになる。先生との時間は楽しくて嬉しいのに、届かない自分の気持ちは重くて辛い。
好きだなんて、怖くて言えない。
ベッドに転がって溜息を吐いた。
「早く、会いたいなぁ」
会ってどうにかできるわけではないけれど、どうにかなるかもしれないという期待が、毎回私を落ち着かなくさせる。
土井先生が、どうにかしてくれればいいのに。
自分のずるい考えに苦笑していると、手の中の携帯が鳴った。
寝転んだまま、メールを開く。
私も楽しみにしてるよ。
11日に返せるように、に借りた本を今からゆっくり読むことにします。
おやすみ。また明日。
「11日」
呟きながら、携帯を持った手をお腹の上に乗せた。
バレンタインにはきっと会えないだろうから、11日にチョコレートを渡そう。どんなチョコレートを買おうかな。予算を決めておかないと。
ちゃんと渡せるだろうか。でも14日じゃないから、渡せなかったとしてもそれはそれでいいよね。そう考えながら、自分を納得させるように頷いた。
逃げ道があると安心するけれど、後悔しそうな気もした。来年もチョコレートを渡す機会があるとは限らない。
「好きです……か」
言えるかな。いや、言えそうにない。
でも、もし、絶好の、告白以外の選択があり得ないようなシチュエーションになったら、言えるかもしれない。
告白を受け入れてくれる土井先生の反応は、何度想像しても現実味がなくて、私の妄想はいつもそこで立ち消える。そしてそれを、先生に気持ちを伝えない理由の一つに付け加える。
もう何百回も繰り返している。意気地なし。
ほうっ、と息を吐いて、携帯を見える位置まで持ち上げた。
また明日。
読み返したメールの最後の言葉に救われて、思わず笑顔になる。この一言があるから、明日の朝もメールを送ることができる。
わざとかな。わざとだったらいいな。
にやつきながら部屋の明かりを消すと、雨音が一層強くなった気がした。
もしも、この雨が雪に変わったら。朝にほんの少しでも雪が積もっていたなら、先生に告白しようかな。
でも、やっぱり。
どうするか決めかねたまま、私はいつの間にか眠りに落ちていた。