心地よい。
髪を撫でているのは誰だろう。母上? いや、違う……もう子供ではない。そうか、妻の名無しさんだ。
「半助さん。起きないの? 読書するんでしょう?」
ああ、と返事をしてまた目を瞑ると、妻が小さく笑うのが聞こえた。
読書もしたいが、今はただこうしていたいのだ。
柔らかく暖かで寝心地のいい膝。なめらかな指先に髪や頬を撫でられると、ゆらゆらと眠りに沈みそうになる。
薄く目を開くと、私を見下ろす瞳は微笑んでいる。
愛おしい。
ここに、こうしていてもいいのだと思わせてくれる。
人は皆、独り。いつの間にかひとりになってしまう。それでも彼女はいつも私を見つけだし、この世界に繋ぎ止めてくれる。そして優しさで包んでくれる。私だけを。
「名無しさん」
「はい」
「きみを、とても大切に思っているよ」
妻はにこりと微笑んだ。
私は満足して、また瞳を閉じた。
「ただいまー」
大きな声が聞こえ、飛び起きた。
「あれっ、土井先生。寝てたんですか?」
何かいいことでもあったのか、きり丸は上機嫌だ。
「ああ……そうみたいだ」 夢だったのか。
頬に触れた指先の感触を、まだ覚えているというのに。
大事なものを無くしてしまったような気持ちだが、夢であったことにどこかでほっとしてもいる。
「イナゴ捕ってきたんですよ」
「またイナゴか」
苦笑しながら、きり丸が籠にイナゴを移すのを見ていると何故だか自分も籠の中にいるような気がした。
囚われているのは現実にだろうか、夢にだろうか。そのどちらにもだろうか。
妻の、彼女の名前はなんといっただろう。
「……名無しさん」
もう戻らない夢の欠片をそっと口に出してみる。
きり丸の耳にも届いたのだろう、不思議そうにこちらを向いた。
「いや、なんでもない。そういや、宿題はやったのか?」
慌ててそう取り繕って言うと、きり丸は水を汲むと表に飛び出していった。
「まったく」
家の中に自分の笑い声が響いて、私はまた少しだけ先の夢が恋しくなった。
それでも、今はこの生活が似合っているのだと思う。