寒い。寒い。寒すぎるっ!
バス停から小走りに、待ち合わせ場所へ向かう。
夕暮れ時の風は冷たすぎて、買ったばかりのカラータイツは穿いていないも同然といった感じだ。これからバイトなんだから、防寒第一にすればよかった。もう帰りたい。
「おーい、名無しさん。こっち!」
公園の入り口に立っているきりちゃんは、いつもと同じように黒いマフラーをぐるぐる巻きにしている。
「寒すぎ!」
「仕方ないだろーまだ2月なんだから」
屋外での待ち合わせに不満を言ったんだ! と言うのも面倒で、さっそく件のものを鞄から取り出した。
「ほら」
「やったー! 開けていい?」
私の返事を待たずに、きりちゃんは百均で買った不織布バッグのリボンを解く。
にこにこ顔だったのが、中を覗いてしかめっ面になった。
「え……5円チョコかよー」
「きりちゃんお金好きじゃん! ぴったりだと思って!」
そう、今日はバレンタイン。私は5円チョコを袋にみっちみちに詰めたのだ。
本当はチョコを袋から出して、穴に紐状のグミか普通の紐でも通そうかと思ったんだけど、不衛生だからやめた。手も汚れるし。
「金は好きだけどさぁ……折角バレンタインなんだからさ、もっとあるじゃん、色々」
「いやいやいやいや、何で彼氏でもないきりちゃんにそんなお高いチョコをあげなきゃならないわけ? それとも、お返しは、3倍なわけ? それなら、考えてもいいけど、違うよね。お返し、くれる、可能性は、限りなく、低いよね?」
あまりの寒さに飛び跳ねながら言うと、きりちゃんは諦めたように溜息を吐いた。
「名無しさん、何でジャンプしてるんだよ」
「寒いんだよぉおおおおお。早く、バイト行こうよー、凍え死ぬ」
きりちゃんのダウンジャケットを引っ張って歩きだす。早く屋内に入りたい。
「スカートなんか穿いてくるからだろぉ」
「お洒落は我慢なんだよ! わかってないな!」
分かんねーよ、という声を後ろに聞きながら、ダウンジャケットから手を離して早足で歩く。
こんなことなら、公園で待ち合わせという提案を蹴るべきだった。いつも通りバイト先で会えばよかったんだよ。イベントもときめきも無関係な関係なんだから。
後ろにいたきりちゃんが、とんとんとんっ、と大股で歩くと、私のすぐ隣に並んだ。
結構背が高いとか、脚が意外に長いとか、男子なんだなぁとか、普段は特に意識していないけれど、時々不意に、きりちゃんって男の子なんだと思い知らされる。
まだまだ、背が伸びるんだろうな。
そう思ってきりちゃんを見上げると、白い息が高く流れていくのが見えた。
きりちゃんは案外綺麗な顔をしているから、どケチじゃなかったら、私とこんな風に一緒にいたりしないんだろうな。
「あのさー……鉢屋先輩たちにも同じやつ?」
「は?」
「チョコ」
「あー……先輩たちにはチロル! 不破先輩には箱で買ったけど、鉢屋先輩には3個」
「差がついてんな」
「だって鉢屋先輩『チョコ貰えなかったことはないし、そんなに意識する日じゃない』とか言ってたよ! なんかムカつかない? あげなくていいくらいでしょ」
シフトが別なら余計な出費をせずにすんだのに。全くいい迷惑だ。
でも義理チョコ配りも、考え方次第では悪いもんじゃない。
「きりちゃん昨日、学校でチョコ貰わなかったの?」
「クラスの奴らから義理チョコは貰ったけど、それだけだなー」
「ふーん。あれだけか」
「そうあれだけ」
「ふーん」
きりちゃん、どケチと学年中に知れ渡る前は、結構人気あったんだけどなぁ。
でも、なんだかほっとした。
別に恋とかじゃないけど、いつも一緒にいる友達に彼女ができちゃうのは寂しいから。それだけ。
「名無しさんは誰かにやったの? そういや、好きな奴いるんだっけ?」
「カメちゃんと友チョコ交換したよ! すっごい可愛いのにしたんだー! ついでにパパさんと福富くんにもあげた」
「えーっ! しんべヱにもやったのかよ! 何でおれだけ5円チョコなんだよ」
「お金の形だから?」
「いまどき、お金の形のチョコなんて他にもあるだろ! 小判とか金塊とか。金塊くれよ金塊っ」
「はぁあああ? チョコをわざわざ探せと? 彼氏でもないのに、そこまでしたくないわ。ってか、きりちゃんも彼女つくればー? きっと気合い入ったチョコくれるよ」
「彼女なんかいたら金かかるだろ」
彼女より金かい。
知ってたけど。
「そういえば、庄ちゃん今日デートだって。この前、ちらっと彼女見たけど可愛い子だよね」
あー、と適当な返事が返ってくる。
羨ましいのか興味がないのか、どっちなんだろう。
私は正直言って羨ましい。だって庄ちゃんの彼女ってば、制服が可愛いと評判のお嬢様女子高の生徒なんだもん。
私だって可愛い制服で放課後デートしたい。可愛い制服のお嬢様な友達と、お洒落カフェとか行きたい。
来世では制服の可愛い学校に入れる学力を授かりますように。ついでにお金持ちで、美貌と才能にも恵まれますように。あわよくば、美形でお金持ちで才能豊かで一途な、生まれたときからの許嫁というオプションもついてきますように。波瀾万丈ドラマチックで、面倒なトラブルの半分以上はお金でちゃちゃっと片付けられる楽しいセレブ人生になりますように
さて、このささやかな願いは、どの神様にお願いするのが最も効率的なんだろうか。
「名無しさんっ!」
突然、マフラーを引っ張られて首が締まった。
「ぐえっ……」
「あっぶねー! 何やってんだよ、前見て歩けよな」
きりちゃんの声が耳元で響くのと同時に、轢かれたら絶対死ぬレベルのトラックが、私の数十センチ前を走っていった。
存分に無料の排気ガスを吸う。
来世の妄想中に今生終わるとこだった。
「うおー! びっくりした! ありがと」
「助けてやったんだから金払えよなー」
と言いながら、きりちゃんはぷいっと顔を背けて、また歩き出す。
なんだその態度、と思ったのは一瞬で、きりちゃんは照れているようだった。可愛いけどちょっと面倒くさい。とりあえず話題を変えよう。
「えっと……ああ! 土井先生もチョコ凄かったよねー」
「そうだっけ?」
「チョコ押しつけて逃げていく女子を3人くらい見たよ、女子校でもないのにもててるよね」
「どこで見たんだよ、3人も……あー……名無しさん、またピアス没収されたんだっけ?」
「うん……」
昨日も些細なことで職員室に呼び出されたて私が無意味なお説教を食らっている間に、押しつけ女子は現れては去っていったのだ。
いのち短し恋せよ少女! Viva 青春!
土井先生なんかのどこがいいんだろう。大体、チョコよりトリートメントでもあげればいいのに。好きならもっとよく見てあげてよね! ほっとくと雲丹になっちゃうじゃん!
「あと、上履きの靴紐変えたのもばれててさー! それも没収だよ! ほんと最悪だった!」
「ショッキングピンクに黒の星は、さすがにばれるだろ。変だし目立つじゃん」
「は? あれ星じゃないし」
「え、あれヒトデなのかよ」
「違う! 手裏剣だし! きりちゃんの目は節穴か!」
銭だよね。
「あのさー……名無しさんの趣味どうかと思うぜ」
「売ってるんだから別におかしくないしー」
「無駄遣いするなよなー」
ものすごい呆れ顔をされる。没収されなきゃ無駄じゃないし。
「へいへい。それよりさ! 土井先生、絶対変態だよ!」
「は?」
「私のピアス、コレクションされてるんだぁあああ……キモっ!」
「……名無しさんが校則違反してるからだろ」
「仲いいからって庇うのか! なんであんなボサボサ頭の変態がもてるんだー! 間違ってる!」
シルバーのピアスが黒ずんだりしないように、せめて磨いてほしいから、クロス渡したらめちゃくちゃ嫌そうな顔したし。無造作にしまわれるのも嫌だからケース持参してあげたのに怒るし。
土井半助め!
私が一人で憤っていると、隣できりちゃんが大きな溜息を吐いた。
「なに、きりちゃんも変態仲間なの?」
「ちげーよ」
「バイト嫌なの? そんなわけないか。お腹空いた?」
「それ、しんべヱじゃんか」
「じゃあ、何? どしたの?」
「おれも本命チョコ貰ってみたいなー……って」
しみじみとした口調に狼狽える。
急に何を言い出すんだ、この人は。
「そ、そんなこと思うんだ?」
「男だったら思うだろ、普通」
「うーん」
そんなこと女子には分からんわ。
女子に本命チョコもらう女子もいるけどね。私は美味しくて可愛ければなんでもいいなぁ。
「えーでもさ、きりちゃんどうせお返しは金かかるとか思ってんでしょ?」
「まあなーでもそれとこれとは別なんだよな」
「そんなもんか。本命チョコねぇ……」
きりちゃんに本命チョコをくれそうな子、探したらいそうなもんだけど。でも憧れ程度ならともかく、わざわざこのどケチと付き合いたい子いるかな。普通に考えたらいないよね。
そうだ、4月に入ってくる新入生なら! と思ったけど、来年のバレンタインまでにどケチが露呈するか。きりちゃんってば、校内でも平然とどケチ行為を働くからな。
「最悪、ホワイトデーは忘れたふりすりゃいいじゃん」
「ダメだろそれ! 最悪は君だよ!」
きりちゃん、そんなだから貰えないんだよ。くれるとしたらよっぽどの物好きか罠だよ罠。
「ま、今年は名無しさんにチョコ貰えたからいいや」
「お返しと、来年は逆チョコ待ってまーす」
うげぇ、ときりちゃんはものすごい顔をして、従業員専用の通路に入る。
その後ろを歩きながら、私はほくそ笑んだ。
バイトが終わったらびっくりさせてやる。
実はちゃんとしたチョコも用意してあるのだ。赤いリボンのかかった箱に入った12粒入り。本命ではなく完全な友チョコだけど。
本命かどうかは問題ではないのだ。
大事なのは、チョコをあげたという事実! そしてお返しを要求する権利!
ホワイトデーにはピアスをねだってやる。
一目惚れした七宝焼き風の土星と火星のピアス。そしてストーンのごてごてついた蛾のような蝶のピアスを、もう取り置きしてもらっているのだっ!
「お、名無しさん」
振り向くと、鉢屋先輩と不破先輩が立っていた。
「ん」
「三郎」
鉢屋先輩はこれみよがしに手を差し出して、それをたしなめる不破先輩もチョコを期待している雰囲気だ。
私は愛想笑いを浮かべながら、厳重にラッピングしたチロルチョコを鞄から取り出す。
「ハッピーバレンタイン!!」
「サンキュ」
「ありがとう、名無しさんちゃん」
「いいえー不破先輩にはいつもお世話になってるので! じゃあ、私、着替えてきます!」
雷蔵だけかよ、と言う鉢屋先輩を無視してロッカールームへ急ぐ。
受け取ったな鉢屋三郎! よもや中身がチロル3個とは思うまい! ラッピング代の方が高いとは想像もすまい!
不破先輩はクッキー缶で免除するけど、鉢屋先輩にはピアスを買わせてみせる。
来月が楽しみでたまらない。これぞバレンタインの醍醐味!
ハッピーバレンタイン!