それ以来

 あの日以降も、雑渡さんの私への態度は変わらなかったけれど、私は彼を意識し始めた。
 そうすると、冗談だと言っていた内容は全て本当のことだと分かった。それでも、私の自意識過剰かもしれない、というレベルで巧妙なのだ。
 雑渡さんは色々な意味で気になる存在ではあるけれど、目で追うほどではないので、彼の予言は実現していない。
 冗談だといい。雑渡さんに本気になられたら困ってしまう。
 そう思いながら、私は仕事をしている。

 今、私はいつも以上に困っている。
 できることなら、雑渡さんと二人きりになるのは避けたいのに、編集部には私と彼しかいない。
 雑渡さんは、からかうような表情で私を見ている。

「ほら、相談に乗るよ?」
「だから結構ですってば」
「名無しさんちゃん……」

 勢いよくドアが開いて、高坂君が顔を出した。

「部長。いなくなったと思ったら、やはりここですか。もう出ないと先方との約束に間に合いませんよ」
「あれ、もうそんな時間?」

 スーツの袖から覗いた腕時計は高級そうなものだ。
 本物かな。雑渡さんは私より高給取りだし、ここの給料でも買えるのかな。それとも副業でもしているのだろうか。
 そうだ、もしかしたらプレゼントかも。
 はっ、と息を呑んだ。

「名無しさんちゃん?」

 雑渡さんと高坂君の視線を感じながらも、私の頭の中は3年前のクリスマスのことでいっぱいだった。
 一番嫌いなのはあの男だけれど、この時期だけは腕時計も、プレゼントも、カラオケも大嫌いだ。思い出させるものは全部嫌い。
 動悸がする。馬鹿なことを考えたりするんじゃなかったと、気付くのが遅すぎた。

「おい」

 高坂君の声で、我に返った。
 高坂君は怪訝そうに、雑渡さんは心配そうに私を見ている。

「具合でも悪いのか」
「ううん……ごめん。なんか、なんだろ……疲れたのかも?」

 笑ってみたけれど、わざとらしいのが自分でも分かった。それでもやはり彼らは大人なので、気付かなかった振りをしてくれる。

「まぁ、あまり無理しないようにね」

 言いながら、雑渡さんは立ち上がって椅子を戻した。

「……はい」

 高坂君は呆れたように短く息を吐く。

「苗字、部長の邪魔をするな」
「ええっ……邪魔されたのはこっちなんですけど。雑渡さん、何とか言ってください」

 と言ってみたものの、雑渡さんはフォローしてくれるわけでもなく、高坂君に手を差し出した。

「陣左」
「どうぞ」

 雑渡さんは高坂君から中折れ帽を受け取る。
 高坂君は昔からここでバイトをしていたらしく、雑渡さんに信頼されているみたいだ。そのせいなのか、単に仕事なのか分からないけれど、二人は一緒にいることが多い。そしてそれが、ちょっとした目の保養だったりする。

「どこにあった?」
「車に忘れてましたよ」

 そう、と素っ気なく答えると、雑渡さんは私の存在を思い出したかのように振り向いた。

「名無しさんちゃん」
「は、はい」
「24日、予定はある?」

 クリスマスイブだ。
 仕事の話かプライベートの話か判断できずに戸惑っていると、高坂君が口を開いた。

「こいつ、生意気に彼氏いますよ」
「ちょっと、生意気ってどういう意味。同い年でしょうが」

 私の発言は二人に無視された。

「彼氏がいるのは知ってる」
「今年の1月からの付き合いらしいです」
「それも知ってるよ」
「さすがですね」

 高坂君に話した覚えのないことなのに、どうして彼が知っているのだろう。高坂君は編集部の女の子とも仲良くないのに。

「高坂君、何で知ってんの?」
「諸泉に聞いた」

 なるほど。あのお喋りめ。

「1年経つなら、そろそろ別れてもいい頃だよね」
「なんなんですか、それ……別れませんよ」

 雑渡さんの言葉に目が泳ぐ。
 

「陣左、名無しさんちゃんの彼氏はどんな男なの?」
「知りません。こいつに興味はないですから」

 高坂君は、ばっさりと切り捨てる。
 私も彼には興味がないのでいいのだけれど、少々傷つく。

「名無しさんちゃん。彼氏と私、どっちが男前?」

 軽い口調で雑渡さんは言うけれど、その目が真剣なことに気付いて返事に困る。
 人それぞれ好みがありますから、と濁すのも難しそうだ。

「どうせ苗字#と同レベルですよ。部長の方が上でしょう」
「か、彼氏の方が断然いい男だから!」
 
 刺々しい言葉に便乗して、強い口調で返してみたけれど、高坂君には鼻で笑われた。
 実際のところ、半助君が雑渡さんより断然いい男かどうかは、何とも言えない。昨日の寝起きの姿を思い出すと余計に。
 でも、半助君だって11年後には雑渡さんのようになっているかもしれない。と思ったけど、絶対にない。下手をしたらあの人は、今よりぼろぼろかもしれない。

「レベルの高い男からの略奪か。燃えるね」

 雑渡さんは、いかにも冗談といった口調でそう言いながら、腕時計を見た。その傍らで、高坂君は私に哀れみの目を向けている。

「行かないとまずいな。じゃあね、名無しさんちゃん」

 雑渡さんは帽子を被ると、高坂君に視線をやる。

「行くぞ、陣左」

 雑渡さんを追って部屋を出てた高坂君は、ドアを閉める前に私を一睨みしていった。
 仕事に支障が出たら困るから近付くな、という警告だろうか。
 雑渡さんが私に構うのは、私のせいじゃない。そもそも彼氏がいるのだから迷惑なのに。

「ああ、もうっ」
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