二人きり

 一体どうして、こんなことになったのか。
 今日は名無しさんさんとのデートのはずだったのだが、何故か4人で出歩く羽目になってしまった。それも大家さんと隣のおばちゃんとだ。
 名無しさんさんと会う前に、家賃を払いに寄ったのがまずかった。早い方がいいと思ったが、今日でなくともよかったじゃないか。デートの前に家賃を払いにいく奴がどこにいる。
 ここにいるから、この結果なのだが。
「半助はしょっちゅう家賃を滞納して困る」
「さ、さっき払ったじゃないですか」
 大家さんの言葉に被せるように言うと、隣のおばちゃんから援護射撃ではなく爆撃を受ける。
「そのうえ町内の行事には参加しないし、着物も汚いし」
「それはそうですけど……なにも今言わなくても」
 名無しさんさんが微苦笑していることで、彼女の耳にもしっかりと届いていることを確認した。
 まぁ、私の着物が汚いのは既に分かっているだろう。洗っておくべきだった、と思ったのは今朝のことだ。その時はどうとも思わなかったが、今になってみると幸先が悪かったようだ。
「怪しい連中はウロウロするし、子供もうじゃうじゃ。何をやっとるか分からん男だ」
 大家さんが言うと、隣のおばちゃんが頷く。
「半助と付き合うだなんて、名無しさんさんは物好きねぇ」
 隣のおばちゃんの言葉に、ははは、と名無しさんさんは弱々しく笑う。
 付き合うもなにも、ふたりきりで出掛けるのは今日が初めてのはずだったんですよ! 邪魔しないでください! と叫びたいのを押さえつつ、作り笑いを浮かべるが、さぞや引き攣った笑みになっていることだろう。
 こんなことなら、行くところがあるからそこまで一緒に、という大家さんを振り切ればよかった。初対面のはずの名無しさんさんと何故か立ち話をしている隣のおばちゃんが、待ち合わせ場所からいなくなるまで物陰に潜んでいればよかった。
 せめて、きり丸を連れてきていれば、大家さんたちを任せることができただろうに。当然、金を取られるだろうが。
 名無しさんさんに気付かれないように、溜息を吐いた。
 前を歩く二人の目を盗んで、隣にいる名無しさんさんに小声で話し掛ける。
「あの……なんか……申し訳ありません」
「いえ。えっと……普段の土井さんのお話が聞けて、楽しいですよ」
 いつもは「土井先生」と呼ばれているのだが、大家さんと隣のおばちゃんの手前、気を遣ってくれているのだろう。心遣いは嬉しい。
 でも、大家さんとおばちゃんがあなたに話すことなど、負の要因しかないではないですか。 ああ、これは振られるんだろうな。
 せめてあと2回くらいは、名無しさんさんとゆっくり二人きりの時間を過ごしたかった。
 授業と補習と追試と委員会に追われ、学園長の思いつきに振り回される日々に戻るわけだ。
 しかし、それでもこの数週間は夢のようだった。初めてのデートがこんな結末を迎えるとは露知らず、浮かれていた頃に戻りたい。
「半助ッ! 聞いてるのっ?」
「は、はい……?」
「大家さんが、うどんをご馳走してくれるそうよ」
「そうなんですか」
 うどんも悪くはないですが、予定があるんですよぉ。とも言えず、曖昧に笑う。
 授業計画以上に頭を悩ませたデートの計画が、崩れるどころの話ではない。計画など無かったも同然。このままでは、くの一教室の生徒からさりげなく聞き出した店のどれにも寄れそうにない。
 この日のために、睡眠時間を削って仕事を片付けた意味がないじゃないか。
「半助、何をやっとるんだ」
「今、行きますー」
 大きな溜息を吐いて、うどん屋に入る。
 既に席に着いた名無しさんさんが、にこりと微笑みかけてくれた。
 彼女の隣に! と思ったが、大家さんが彼の隣の席を指さした。
「半助、ここに座ったらどうだ」
「……はい」
 仕方なく大家さんの隣に腰掛けた。

 名無しさんさんとふたりきりになったことがないわけではないが、ふたりきりで出掛けたことはない。互いに好意があることがなんとなく分かっているという、なんとも微妙な関係だ。ちょっとした切っ掛けで、どちらにも転ぶ。
 その切っ掛けを今日こそ作ろうと考えていたのだが、なかなか思惑通りにはいかない。
 というより、最悪だ。
「美味しいですね」
「ええ」
 ああ、うどんを食べる名無しさんさんも可愛いなぁ。
「ちょっと半助、カマボコ食べないの?」
「え? あっ、ああ~……た、食べますよ。食べます」
 隣のおばちゃんの言葉に苦笑する。
 丼に張り付けたカマボコに全く気付いていない振りをして、さりげなく残そうと思ったのに。余計なことを指摘せんでください。
「そういや、この間もわけのわからん事件が……」
 名無しさんさんと隣のおばちゃんが、大家さんの発言に気を取られているうちに、カマボコを丸飲みした。
 一瞬、気が遠くなる。
 いつかはバレるだろうが、名無しさんさんはまだ私が練り物を嫌いだとは知らないのだ。

「じゃあな、半助。家を壊さんでくれよ」
「はい。もちろん」
「今度のドブ掃除には参加しなさいよ!」
「はい。ちゃんと参加しますー」
 うどん屋を出た後も、大家さんと隣のおばちゃんに散々連れ回れたが、ようやくふたりはそれぞれの家へと帰っていった。
 大家さんと隣のおばちゃんの言葉に弁解をしたり誤魔化したりしているだけで、貴重な一日が終わってしまった。
 疲れがどっと押し寄せる。
 これで名無しさんさんとふたりきりだが、既に夕暮れ時なので、彼女を送っていかねばならない。
 デートらしいのはこれだけか、と思っていると、名無しさんの怒ったような声が聞こえた。
「土井先生。わたしの話、聞いてました?」
「えっ、いえ……すみません」
 焦る私を見て、名無しさんはくすくすと笑う。
「今日は、誘ってくださってありがとうございました。驚いたけど、楽しかったです」
 名無しさんさんの言葉に耳を疑った。
 楽しかった、だと?
 どの部分だろうか。大家さんと隣のおばちゃんの話が面白かったのだろうか。あれは殆どが私に対する愚痴のようなもので、私は楽しいとはほど遠い時間を過ごしたが、彼女はそうでもなかったのだろうか。いやいや、気を遣ってくれているのだろう。そうでなければ困る。
「大家さんも隣のおばちゃんも良い方ですね」
「ええ、まあ」
 頭が上がらなくて、とは言えない。わざわざ言わなくとも、名無しさんさんはそんなことは分かりきっているだろう。
「それで……その……」
 もう、ふたりきりで会うのはよしましょう、とか、また皆で出かけたいですね、とでも続くのだろうか。
 できるだけ遠回しな言葉にしてほしい。
「次はいつ、お会いできますか?」
「え?」
 聞き返すと、名無しさんさんは悲しそうに眉根を寄せた。
「ダメですか?」
「い、いいえ! まさか、そんな! えーっと、つ、次はですね」
 授業が遅れているが急げばなんとかなるはずだから、学園長の突然の思いつきがなければ、今度の長期休みはしっかり取れるだろう。
 いや、待て、補習と追試があることを前提にしていた方がいいだろうか。そうなると、休みが全く無くなるという可能性もある。縁起でもないな。いや、でも、しかし。
 うだうだと考えていると、名無しさんさんが首を傾げながら私の顔を覗き込んだ。
「あ、すみません。えーと……補習がなければ、休みに入ってすぐ……ただ、補習がないというのは滅多にないことなので……」
 これではまるで、会えない言い訳のようだ。
「い、一週間後に!」
「お休み、取れるんですか?」
 長期休暇はまだですよね、と名無しさんさんは心配そうに言う。
「まだ分かりませんが……いえ、休みを取ります! 一週間徹夜してでも、絶対に来ますから!」
 名無しさんさんの手を取った。
「今日と同じ場所で、今度はふたりきりで会いましょう」
「はい」
 にこり、と名無しさんさんが微笑んで、一瞬の後、困り顔になった。
「でも……」
「でも?」
「次のドブ掃除、一週間後って言ってませんでした?」
 ドブ掃除に参加すべきか、デートを選ぶべきか。それが問題だ。
 曖昧に笑うと、隣のおばちゃんの怒鳴り声が聞こえた気がした。