「赤点取って、バイトができると思ってるのか」
「思ってまーす」
きりちゃんと私は声を揃えて言った。
「お前たち、いい加減にしろっ!」
職員室に土井先生の怒鳴り声が響いて、周りの先生方は”またか”という顔で見ている。
赤点を取ったらバイトは禁止。校則ではそう決められている。つまりは、成績優秀なよい子ちゃんしかバイトはできない。
私ときりちゃんもよい子なはずなんだけど、なんと追試でも赤点を取ってしまったのである。
「土井せんせー、バイト禁止だなんて死活問題ですよぉ」
と、きりちゃんが泣きついても、土井先生は険しい顔のまま。
「だったら赤点を取るな!」
「でも私もきりちゃんも、必至に勉強しましたよー補習だってちゃんと出たし」
「そうだよ! 補習に出たのにまた赤点って、土井先生の教え方が悪いんじゃないですか」
きりちゃんの言葉に頷きながら、私は声を潜める。
「20点ずつくれたらちゃらにしましょう!」続けて、更に小声で言う。「土井先生の補習が時間の無駄だってこと、安藤先生には内緒にしておきますから」
なんという名案。素晴らしい取引。きりちゃんと頷き合ってから、土井先生に目を戻した。
が、ダメっぽい。
土井先生の握り拳がぷるぷるしてる。怒ってるな、これ。あー面倒くさい。
「というのは冗談で~次こそ合格点取るから、バイトさせてください。先取りで! 土井先生の心の広さを見せてください!」
「心が狭くて結構」
土井先生ってば超笑顔。
「ダメなものはダメなんだ。大体なぁ、お前たち、呼び出されたときくらいは制服をきちんと着ろ。きり丸、その変なベルトはダメだ。苗字もスカート短すぎないか。ピアスも外しなさい」
「えっ、やだ~脚見ないでください! 変態っ」
わざとらしく大袈裟に言ったのに、心なしか土井先生の顔が赤くなった。そして、それを見たきりちゃんが更に先生をからかう。
「うわー……いくら苗字が可愛いからって、まずいっすよ先生」
「おーまーえーらー」
冗談が通じないにも程がある。
日頃の生活態度についてこってり絞られた後、きりちゃんと私はふらふらと食堂にやってきた。
放課後の食堂にしては珍しく人がいない。
「疲れたよぅ……あれ、もうグラスがしまわれちゃってる」
「おばちゃーん、水ください。2つ」
水を頼んだのに、食堂のおばちゃんってば薬缶ごと麦茶をサービスしてくれる。こうなったら自棄酒ならぬ自棄麦茶だ。「バイトは暫くの間、休みもらうしかないなー」
「私は最悪辞めることになってもいいけど、きりちゃんはきついよね」
家族のいないきりちゃんは、アルバイトができないとなるとリアルに死活問題だ。
「あーあ……明日の追々試どうしよう」
私が溜息を吐くと、きりちゃんも大きく息を吐く。
「今から勉強してもなぁ」
「無駄だよね。ってかピアス没収とか、ひどいー」
あの後結局、きりちゃんはベルト、私は買ったばかりのピアスを没収された。
「あれを変なベルトって、センスがおっさんだよね」
「うーん……でも変だろ、あれ」
タダだから貰ったけどな、ときりちゃんは言い捨てやがる。
マジか!
きりちゃんのバースデープレゼントとして、猪名寺くんと福富くんと選んだのに。福富屋で50パーセントオフのワゴンの奥から引っ張りだしてきた舶来品なのに。半額から更に社長子息の特別優待割引がついたおかげで、一人450円しか出してないけど、掘り出し物なのに。
「君もハイファッションを分かっていないよ!」
きりちゃんにそう言って麦茶を呷る。
ふと、いい考えが浮かんだ。
「ぎゃふんと言わせよう!」
「はぁ?」
「土井先生をぎゃふんと言わせようよ」
「やだよ、ただ働きじゃんか」
「ダメ、もう決定!」
土井先生をぎゃふんと言わせれば、没収された65組のピアスも浮かばれるってものだ。65だよ65。かなりの数だし、かなりの金額だよ。大体あの汚い机のどこに収納されてるんだろう。
あれ? もしかして、土井先生ってば私のピアスをコレクションしてるんじゃないだろうか。
やだ変態。
選択授業はおばあちゃん先生が担当で、一番暇そうだから選んだ家庭科だ。それなのに実際のシナ先生はめちゃくちゃ厳しくて、今年度の終わりには、私は大和撫子になりそうだ。でも調理実習は好き勝手にやらせてくれるから楽しい。小火さえ出さなければ、だけれど。
そんなわけで、今日のスイーツの出来映えをきりちゃんに見せびらかす。
「おおー! 今日は蒸しパンか!」
「違うよ、マフィンだよ! 蒸しパンって、お母さんか!」
「お母さんじゃなくても作るだろ」
あー、なんかいらんこと言っちゃった。きりちゃんお母さんいないのに。家族の話題が出ても気にしないって言うけど、ちょっと気にしてるの知ってる。
でも、本人が気にしないって言うんだから、私も気にしないふりをしてる。それが友達ってもんだ。
で、その友達が何故か私に手を差し出している。
「何、その手」
「くれるんじゃないの?」
「あげないよ」
「なんだよー苗字が今日は料理実習って言ってたから、それで昼飯代浮かそうと思ったのに。乱太郎としんべヱも期待してたぜ。苗字のお菓子、今日こそ成功するんじゃないかって」
最後の一言が余計だけどスルーする。
「土井先生にあげるんだもん」
私がそう言うと、きりちゃんが小声で囁く。
「……何入れたんだよ」
「刻んだちくわ」
「え……じゃあ、その紫色のは?」
きりちゃんは明らかにドン引きしている。
「カモフラージュのブルーベリー。産地不明」
「うわ、それなら本気でいらねーや……ってかなんか苗字、臭いんだけど」
「はあっ? 女子に向かって酷い!」
「いや、だって……なんだろ、薬の臭い? もわっとしてて、すげー甘いような、すっげー薬臭いような」
「あー……もしかして、ちくわ臭を隠すためにバニラエッセンスぶち込んだせいかな?」
「それ……テロじゃねーの。シナ先生よく何も言わなかったな」
「このままじゃお嫁に行けませんよ、って深刻な顔で言われたわ」
今日はつけましてないからかと思ったけど、これのことだったのか。まあいいや。彼氏もいないし。
そんなことより今は、土井先生をぎゃふんと言わせることが大事なのだ。
「私がこれを渡している隙に、追々試の問題を手に入れてね」
「任せろ!」
「いざ出陣!」
「おう」
あとは庄ちゃんに頼み込んで問題を解いて貰って、午後の授業中に内職でカンペを作る寸法だ。完璧。
「土井せーんせっ! これ、よかったら食べてください」
同じ調理実習で作られたスイーツ達が、既に幾つも机に乗っている。この学校にいる男は土井先生だけだったろうか。私の記憶が正しければ、他にもいたはずなんだけど。男子生徒だって腐るほどいるっていうのに、まったく。
気合いの入ったラッピングに、見た目の綺麗な焼き菓子たち。マフィンを作ったのは私ともう一人の子だけで、その子は持ってきていないようだけど、マドレーヌやら変なクリームの乗ったカップケーキはライバルだ。現状、ラッピングから感じる女子力では完敗している。
おにぎりでも作るんだった。それならごはん炊いて、ちくわ入れるだけだったのに。
「苗字……どうしたんだ?」
何で一言目がそれなんだ。私が土井先生にお菓子を渡すのが、そんなに怪しいですか。怪しいですよね。
しかし、私はとびっきりの営業スマイルを向ける。
「えっとぉ、反省の印です。一所懸命作ったんです、お昼に食べてください」
くらえ、ブルーベリーちくわマフィン。
「ありがとう」
と口では言いながら、土井先生は完全に不審物を見る目をしている。
「どういたしまして。ってことで、また放課後に! 徹夜で勉強したから、絶対満点ですよ!」
「苗字、待ちなさい」
土井先生はにこりと微笑んで、手を差し出した。
「ピアス」
「つけてません」
即答して笑顔で応戦する。
最悪だ。マフィンに気を取られて、すっかり忘れていた。追々試の前にはちゃんと外そうと思ってたのに。
これは一番気に入ってる、一番高価なやつなのに。なんてったって、カメちゃんがプレゼントしてくれたんだぞぉ。めっちゃくちゃ可愛いうえに、お高いに決まってる! そして没収されただなんて知ったら、カメちゃん悲しんじゃう。
お姉さんはカメちゃんの心を守りたい! つまりピアスを守りたい! ヒトシ君人形のように易々と没収されてたまるかっ!
「苗字」
「これ、おっさんにしか見えないピアスです」
「はあっ?」
「だ・か・らぁ~土井先生みたいなお兄さんには見えないはずですよー。ぎりぎり斜堂先生までには見えないの。透明です、透明。高速じゃない方の」
「ということは、つけてるってことじゃないか」
はっ、と顔を上げると、土井先生の後ろにいるきりちゃんと目が合った。もの凄い呆れ顔を私に向けながらも、机の上の問題用紙らしきものをさりげなくひっ掴んだ。
ちょっと遅いけどグッジョブ相棒。きりちゃん、あとは職員室を出るだけだ。
これで再来月も諭吉に会えるね。
「きり丸、問題用紙に見えるかもしれないが、それは宿題のプリントだ」
土井先生ってば、後ろにも目があるのか。ぼさぼさな髪はカモフラージュか。
私が現実逃避をする一方で、きりちゃんはプリントを机に戻す。
「いやー、風で飛んでいきそうだったんすよ。どういたしまして!」
そう言ってすぐに、職員室から逃げていく。
「苗字、ピアスをよこしなさい。卒業するときにちゃんと返すから」
有無を言わせぬ微笑みには敵わず、ピアスを外して先生に渡す。手のひらのピアスを見て土井先生が頷くのと殆ど同時に、大きく息を吸った。
「おっさんだー!」
職員室の注目を独り占め。ぎょっとしている土井先生を放置して、職員室のドアに向かって走る。
「土井先生はおっさんだぁあああああああああ! 失礼しましたー」
「苗字っ!!」
土井先生をおっさん呼ばわりしたことは、即ち男性教師人全員をおっさん呼ばわりしたことになる。
殆ど全員がおっさんなのは事実だけど。
放課後の教室で、土井先生は何ともいえない表情を浮かべている。
「どうしてまた赤点なんだ……」
隣にいるきりちゃんと顔を見合わせた。
「だって、こんなの教わってないっすよ」
「そうだよ、ぜーったい範囲違う! ってかこの難しさだと3年生の問題じゃないですか、これ」
「教えたはずだ! 教えたはずだ! 教えたはずだっ!」
そんなこと言われても、とぼやく私たちを土井先生が睨む。
「とにかく、追々々試が終わるまでバイトは禁止だからな。勉強しろ!」
「はーい……」
一応、返事はしておく。だってこれ以上拘束時間が長くなるのは避けたいもの。
反省した振りをしながら、帰り支度をする。
「苗字ー、先に行ってるぜ」
「うん」
丸が殆どついていない答案を鞄に突っ込んでいて、あることを思い出した。
「そだ。土井先生、マフィン食べてくれました?」
土井先生の顔が凍った。
この様子だと食べたんだなぁ、ちくわ。ざまーみろ。よくあんなものを食べたと感心してしまう。私だったら捨てますよ。
胃の辺りを押さえながら、土井先生は教壇を降りる。
「……あれは何だったんだ?」
「マフィンです」
ピアスの恨みを込めて、笑顔で言ってみた。
「あれ……マフィン……か?」
「ははは」
土井先生の知ってるマフィンとは違いますが。と心の中で付け足しながら、私は足早に食堂へと向かった。
食堂に着くと、きりちゃんはテーブルに突っ伏して、ぶつぶつ何か言っている。さすがに落ち込んでいるのかもしれない。
「きりちゃ……」
「ああ……諭吉が……一枚、二枚、三ま~い……ううう」
金か!
「札屋敷かっ! もうっ……おばちゃん、お茶ください」
今日も麦茶で慰め合いだ。
麦茶を飲みながら携帯を開くと、庄ちゃんからメールが来ていた。受信時刻は追々試が終わる前だというのに、内容は追々試の結果を知り尽くしたようなものだった。庄左ヱ門、恐ろしい子!
「ねぇ、庄ちゃんが明日、授業終わってから1時間くらいなら勉強教えてくれるって」
「おれ、明日は図書当番だ」
「じゃあ図書室で教えてもらおうよ」
「当番の前に委員会もあるから、無理だよ」
そっか、と答えながら庄ちゃんに返信をする。ハートマーク多めで可愛らしい絵文字を駆使し、勉強会のお願いとお礼も書いたのに、「追々々試でも赤点だと土井先生に申し訳ないからね」なんて内容が、絵文字どころか顔文字すらなく、さらっと返ってくる。
「ねぇ、私たちの味方なわけじゃないみたいだよ!」
憤慨しながらそう言っても、きりちゃんはお小遣い帳を開きながら、不思議そうな顔をしただけだった。
教室にひとりきり。学級委員長様も帰ってしまった。
「分かんないよー」
庄ちゃんに教わりながらだと7割はいけるのに、ひとりだと半分も解けなくなるというミステリー。
「うーん、図書室でやろうかな」
きっと委員会も終わっただろうし、どうせ図書室には利用者なんていないだろう。
そんなわけで、荷物を持って図書室へ行こうと廊下を歩いていると、突然、後ろから腕を引っ張られた。
「ぎゃっ」
「苗字、帰んの?」
「きりちゃんか! 変態かと思った! びっくりさせないでよー」
文句を言いながら、イヤホンを外す。
「きりちゃん、当番さぼり?」
「違うって。苗字も今から一緒にバイトしようぜ」
「いいね! って、どういうこと? その台車で何すんの」
昨日ダウンロードしたばかりの演歌を大音量で聴いてたせいで気付かなかったけれど、きりちゃんは台車を引いていた。
「荷物運びだよ。司書さんに頼まれたんだ」
「ほほう。ってそれ図書委員の仕事じゃん? 私だってただ働きはやだよ」
違う違う、ときりちゃんが手を振る。
「これがバイトなんだって。おれと苗字でやるって引き受けたんだよ。食堂のタダ券くれるって」
キラキラでニタニタな顔しちゃって。
力仕事だし、食堂のタダ券はあんまり魅力的じゃないんだけど、折角だからやりましょう。
とはいったものの、台車も荷物も重い。
「今更だけどこれ、男子の仕事じゃん。いたいけな女子に重労働させるなんて!」
と、ぶつくさ言いながら、荷物のない復路はきりちゃんの押す台車に乗っている。
「たのし~」
「交通費として、タダ券よこせよな」
「えーっ。ケチ」
「おれがドケチなの知ってるだろ」
きりちゃんは、しょうもないことを真剣な顔で言う。
ふふん、最初からあげるつもりだったもんね。というのは渡す直前に勿体ぶって言おう。それとも今言った方がお得かな。
「きり丸、苗字」
険しい声で呼ばれて、私たちは廊下の真ん中で振り向いた。
「げっ」
土井先生がもの凄い形相でこっちに来る。
「きりちゃん、土井先生なんか怒ってる? バイトがばれた?」
「いや、苗字が台車に乗ってるからじゃないのか?」
「ええっ、じゃあ降りる」
理由は何にしろ、あれは絶対怒ってる。
「ふたりとも、こっちに来なさい」
土井先生の言葉に、私は殆ど反射的に言ってしまった。
「に、逃げよう、きりちゃん」
「走れっ!」
きりちゃんの声を合図に、私たちは動き出す。
私が台車の右側、きりちゃんが左側に乗って、キックボードの要領で進む。
台車は重いから結構きつい。明日筋肉痛かもしれない。というか脚がつりそう。そんでもって、台車捨てて走った方が絶対に早かった。
しかし、私たちは今更止まれない。
何故なら、土井先生の怒鳴り声が廊下にこだましているから。
「こらー!」
逃げるという選択も、台車を捨てなかったことも痛恨の判断ミスな気がしてきた。そうだ、追々試でも赤点な私たちなんだから、とっさの判断を間違えないほうがどうかしている。そしてそのことに今気が付くだなんて。
なんて考えていたら壁が目前に迫っていた。
「きりちゃんこっち! 右、右っ」
「んなこと言っても、苗字強く蹴りすぎ! それにうまく曲がらないんだよっ」
「止まりなさい!」
ひいっ、と思わず変な悲鳴が出た。
土井先生の声が近付いている。
曲がれずに壁にぶつかりながらも、なんとか方向転換する。そして、その先は階段だ。
「うわぁあああああああああああああ」
土井先生の悲鳴を聞きながら、舌を噛まないように必死で台車に掴まって、がこがこ揺られる。
踊り場に着いたと思った時には、体は次の階段へと向かって勝手に動いていた。
前後左右も状況も、よく分からなくなりつつ必死で床を蹴る。
「きり丸っ! 苗字っ! 止まれ! 止まりなさい!」
土井先生が階段を降りてくる気配を感じながら、私ときりちゃんは床を蹴った足を台車に乗せ、また必死にしがみつく。
制止する先生の声は、怒声か悲鳴か分からない。
がっ、ががががががががががが、がんっ。ごっ。
脳味噌シェイクができそうな衝撃と、スリルで頭がふらふらする。
しかし、やはり止まっている暇はないのである。
「苗字、だ、大丈夫か?」
「う、うん」
自分もよろけているくせに、気遣ってくれるきりちゃんってば優しい。相手が私じゃなければ恋に……とか言ってる場合じゃない。
「もう階段はやめて、廊下に出ようぜ……」
「……うん」
再び台車をキックボードにするけれど、蹴るタイミングが合わないせいなのか、車輪のせいか、その両方なのか、とにかく真っ直ぐにならない。
ふらふらな私たちが進める台車はよろよろだ。
「角を曲がったら台車を置いて、二手に分かれよう」
「わかった!」
「おれが囮になるから、苗字はトイレに隠れるんだ! 土井先生だって、女子トイレまでは入れないだろうし。入ってきたら変態だ!」
「誰が変態だ! 作戦丸聞こえだぞ!」
いつの間にか階段を下りてきていた土井先生の声が、私たちのすぐ後ろでしたので、必死で床を蹴るスピードをあげる。
「きりちゃん……左、左、左だよ~!」
「んなこた分かってるけど……」
もたつきながらも、ようやく角を曲がる。
よーし、ここから全力だ!
そう思って顔を上げた瞬間、ふわふわの髪と眼鏡が見えた。
「あ」
「あ」
「えっ!?」
見覚えのありすぎる保健委員に、台車を激突させてしまった。彼の手から転がっていくのは、トイレットペーパー。
嗚呼、さすが不運小僧。
私ときりちゃんは、あえなく御用となった。
「反省文と二週間のトイレ掃除だ。それで済むだけ、ましだと思いなさい。それと、また補習をするからな」
「へーい」
「ほーい」
もう2時間近くも会議室で説教を食らって、返事もろくにでてこない。
「おまえら、反省してるのか?」
「……してますよー、ぼくも苗字も、めっちゃくちゃ大反省してるじゃないですかー」
「そうですよー。でも、もうお説教されるの疲れましたぁ」
「2時間も説教されるとか、時給もらってもいいくらいっすよぉ。苗字もそう思うだろ?」
きりちゃんと顔を見合わせる。
「思う!」
「だよなー」
うんうん、と頷いていると、思いがけないことに気が付いた。
「私、授業よりまともに聞いてたもん。土井先生の話をこんなに真面目に聞いたの、初めてかも!」
「授業中、寝ちゃうもんなーおれも土井先生の話で寝なかったの初めてかもしれない」
「土井先生の授業、内職してないと暇だもんね! あっ……」
しまった、お説教タイムが延びる! と思いながら前を向くと、予想に反して、土井先生は胃の辺りを押さえながら前屈みになっている。なんだか具合が悪そうだ。
「ど、土井先生……大丈夫? きりちゃん、どうしよう」
「先生、また神経性胃炎ですか?」
「えっ、土井先生って神経性胃炎持ちなの? 情けな……じゃなくて、興味なさすぎて知らなかっ……違う、違う、えーっと、うーん……ど、どうしよう?」
顔色の悪い土井先生を、ふたりで覗き込む。
「どうもせんでいいから……もう帰ってくれ」
哀愁たっぷりの声で言われて、私たちは申し訳なく思いつつもチャンスとばかりに、そそくさと会議室を出た。
「疲れたね」
図書室に鞄を取りに行った帰り道。校舎にはもう生徒が残っていないようで、廊下は暗い。
「だなー。結局、タダ券も貰えなかったし、無駄なことしちゃったぜ。ごめんな、苗字」
階段を先に下りていたきりちゃんが、振り向いて私を見上げた。薄暗いせいか、吊り橋効果なのか、ちょっとカッコイイ気がする。
「いや、私は別にいいよ。結構楽しかったし。猪名寺君を台車でひいちゃったのは、びっくりしたけど」
「乱太郎の怪我も痣ができた程度でよかったぜ」
「きりちゃんがあそこで台車から手を離してたら、ぶつからなかったかもね」
冗談でそういうと、きりちゃんは真顔で私を見た。
「苗字、どケチが一度掴んだものを離せると思ってるのか?」
そうだった、この人はとんでもないどケチなんだった。友達でいるのはいいけど結婚は無理だ。ごめんよ、きりちゃん。私はお高い婚約指輪を貰うのが夢なんだ。
でも、このどケチがそこそこのお値段の指輪をくれたら、私ころっと落ちちゃうかもしれない。拾ったとか、曰く付きの怪しい指輪かもしれないけど。そうねぇ、まずは誕生日かクリスマスにダイヤモンドのピアスでも頂きましょうかね。うん。結婚を考えるのはそれからにしよう!
「苗字? おーい……苗字!」
浸りかけていた妄想から引き戻されて、きりちゃんに、ぐいっと腕を引かれる。
「下はきっと暗いから。職員室の前、通ろうぜ」
惚れちまうだろー!
すらっとした制服の背中を、私はひょこひょこ追いかける。
職員室に差し掛かると、安藤先生の嫌みったらしい声が聞こえてきた。何を言っているのかまでは分からないけど、きっと土井先生に嫌味を言っているはず。
ありがとう、安藤先生!
私たちは息を詰めて、できるだけ静かに、且つ急いでそこを通り過ぎた。
そのまま階段を下りると食堂だけれど、さすがに電気は消えている。おばちゃんも帰ってしまったみたいだ。
今日は麦茶は飲めないようである。
なんとなくきりちゃんと視線を交わして、昇降口に向かって歩く。
もう、夕方と呼ぶには暗い時間帯だ。
「苗字、まっすぐ帰るだろ?」
「ピアス買うの付き合ってよ」
言いながら、真っ暗な昇降口で靴箱から外靴を出す。
「えーっ、めんどくせー。苗字も懲りないなー、どうせまた土井先生に没収されるって。金の無駄無駄。ピアスは値切ったとしても、店に行くまでの交通費もかかるんだぜ? 歩くのも疲れたし、今日は帰った方がいいって」
きりちゃんってば、本気で嫌そうな顔をする。
私だって今日はかなり疲れたけど、土井先生のせいでピアスがもうない。次こそは絶対に没収されないようにしたいから、きりちゃんのアドバイスもほしいのだ。土井先生に発見されにくくて、めちゃくちゃ可愛いのを選んでやる。
というかね、私の耳たぶを凝視してるとか、土井先生は絶対に変態だ。変態に、ピアスしてない耳たぶ見られるの、なんか嫌なんだよ。
「アイス奢るから」
「付き添わせていただきます!」
叫ぶように言って、きりちゃんは気色悪くにやつきながら靴箱の鍵を閉めた。
何種類食べようかな~、とぶつぶつ言っているけれど、奢るのは1種類に決まっているだろうが。
「そうだ、中在家先輩にメールでカンニングの方法を訊いておいてよ」
そう、きりちゃんには頼りになるOBがいる。使えるものは何でも使わなければ、また赤点取ってバイトに行けない。遊ぶ金が無い。
「実はもう訊いたんだけどさ……中在家先輩の文章、難しくて分かんないんだよなぁ」
「えーっ、意味ないじゃん。英語?」
英語なわけないだろ、と言いながら、きりちゃんが見せてくれたメールにはびっしり文字が詰まっている。
更に、件名には「方法その1・1/3」とあるので、手順を書いてくれたものを何パターンか、かなりの長文で用意してくれたみたいだ。
2行くらい読んでみると、文章の難解さとバックライトの眩しさにくらくらする。
確かに分からん。
英語じゃなくて漢文寄りだ。これを読んで実行できる理解力があったら、赤点取って追試なんて受けてない。
「明日、能勢先輩に解読してもらってよ」
「それがさ、委員会の後に見てもらったんだけど、能勢先輩もよく分かんないって」
「じゃあ、不破先輩にメール!」
「苗字がすればいいだろー、仲いいんだから。金かかるし、おれはもう嫌だ」
私たちの運命が懸かっているというのに、我が儘な男だ。
仕方がないので、携帯を開いてメールを打つ。
不破先輩とはバイト先が一緒だし、確かにそれなりに仲はいいけど、代わりにシフトに入ってもらっているうえにカンニングの方法を聞くのはどうだろう。うーん。
ま、いいか。送信完了。
何だろう、なんだか違和感がある。慌てて送信履歴を見て見ると、そこにあったのは不破先輩の名前じゃない。
「ああーっ、間違って送っちゃったよぅ」
「えっ? 誰に送ったんだよ」
「鉢屋先輩」
またやってしまった。鉢屋先輩に勝手に登録された2つの画像が紛らわしすぎる! 殆ど同じ柄のハムスターとかやめてほしい。
「転送してって言えば? てか多分、不破先輩と一緒にバイト中じゃないか」
「そうか、じゃあ不破先輩と一緒に見て、絶対返信しろって言っとくわ。バイト中かぁ~カンニングのやり方分かるの、夜遅くだね」
「いいじゃん、どうせ追々試の前に補習あるしさ。補習なんて、やるだけ無駄なのになぁ」
「時間の無駄だよね」
ははは、と軽く笑いながら顔を上げると、真っ暗な昇降口に黒い影が見えた。
「悪かったなぁ、無駄で」
きりちゃんと私は小さく悲鳴を上げた。
「な、なんで土井先生がここに」
「戸締まりの確認だ」
「もうっ、びっくりさせないでくださいよ! 学校にバーバモジャがいるかと思ったじゃないですか!」
何だそれは、と言いながら、土井先生は出口を塞ぐように立つ。
この教師、信じられないぞ。バーバモジャを知らないだなんて。
それよりなにより、いつからいたんだろう。まさか、カンニングのこと聞かれてないよね。安藤先生にくどくど嫌味を言われていればいいものを、何でここにいるの。
「聞こえていたからな、お前たちの会話」
土井先生の声は何故か楽しそうだ。やっぱり変態。
じゃなくて、大変だ。
「あのー……ぼくたち、帰りたいんすけど」
「ああ、戸締まりするから早く帰れ」
土井先生の顔は暗くて見えないけれど、きっと怒っているはずだ。さっきのことがあったから、余計にまずい。ちくわも食べさせちゃったし、土井先生、絶対私に怒ってる。
横を通った途端に捕まって、職員室に連行されるんじゃなかろうか。
これはもう、あれしかない。
きりちゃんを見上げながら、制服の袖を引っ張った。目を合わせて、そっと頷く。
「きり丸、苗字。もう暗いから早く家に……」
私ときりちゃんは脱いだ靴を手に、廊下へとダッシュした。
「えっ、なっ、何を……」
土井先生の動揺した声から必死に遠ざかる。
まるでボニー&クライドみたいだ。そうなると明日はないのか。それは困る!
「窓から出ようよ!」
「苗字! 食堂の方がいいって!」
「あああー、うっそ、もう地味に筋肉痛きてるー」
「こらー! 苗字! きり丸!」
暗い廊下に私たちの騒々しい足音と、土井先生の怒鳴り声が響くのであった。
この直後、全員が山田先生に捕まったのは末代までの秘密である。