暖かな午後の食堂に、カステイラの甘い香りが漂う。
3人のクラスメイトと、食堂でカステイラを焼いていた。人に教えるのは初めてだったけれど、なかなか上手にできたと思う。
そんなわけで、試食中。
「おいしーい!」
ひとりが満面の笑みで三切れめのカステイラに手を伸ばそうとすると、もうひとりが咎めるような目で彼女を見た。
「ちょっと、食べ過ぎじゃない?」
「えーっ、味見用なんだからいいじゃない」
そんなやり取りを眺めていると、マイペースにカステイラを頬張っていた級友が、私の方へ顔を向けた。
「残り持って帰る? ここで全部食べちゃう?」
その発言に、思わず小さく笑う。
「美味しくできたし、シナ先生にも召し上がっていただこうよ。それに、ここで全部食べちゃったら皆怒るよ、作ってるの知ってるんだから」
「そうだね」
「名無しさんの意見に賛成」
「じゃあ、片付け終わらせちゃおう」
お喋りをしながら調理場へ向かおうとすると、不意に私達のものではない低い声が聞こえた。
「あれ?」
ぱっと顔を向けた先には、土井先生が立っていた。
戸惑った様子の土井先生と目が合ったのは、私が戸口の一番近くにいたせいだろう。
「苗字、食堂のおばちゃんは?」
「もう発たれてしまいましたよ」
「そうか……今日から里帰りされるんだったな。まぁ、大した用事でもないし、いいか」
ところで、と土井先生は付け足す。
「お前たちは食堂で何をしているんだ?」
そう訊かれると分かっていたので、私の口元は綻びる。
「南蛮菓子の味見です」
「味見?」
「私たち、学園長先生に許可を頂いて、バザーをすることにしたんです」
「一体、何のために?」
土井先生が不思議そうにそう言うと、私と友人たちは目配せし合う。そして、次の瞬間には何もなかったかのように穏やかに笑うと「くの一教室だけの秘密です」と声を揃えて言った。
これは早々に立ち去った方が身のためだ、と土井先生が考えているのは明白だ。
だからといって、ここで帰すわけにはいかない。だって私達、くのたまだもん。
私は、後ずさりしかけた土井先生の手を引いた。
「そんなことより、土井先生、カステイラ買ってください」
「え?」
土井先生が驚いた表情で固まったところに、友人達の援護射撃。
「そうですよ、名無しさんの言うとおり!」
「協力してください」
「待て、協力って……」
「全部買ってくれてもいいですよ」
土井先生を囲んだ桃色装束のうち、一人が手を叩く。
「とりあえず味見してもらおう!」
「美味しいですよ!」
「あ、楊枝が勿体ないから手で食べてくださーい。ほら土井先生、こっちで洗って!」
たじろいで食堂から逃げようとする土井先生を、その場にいる全員で捕まえて手を洗わせる。そのまま、半ば無理矢理に着席させた。
食堂に来るんじゃなかった、と土井先生は情けなく呟く。
やだなぁ、10も年上なのに可愛いんだから。私はそんな本音を隠しながら、努めてにこやかに口を開く。
「先生、まずは一切れ召し上がってみてください」
切り分けておいたカステイラを小皿に乗せて、土井先生に出した。
カステイラはまだほのかに温かく、優しいけれど重みと湿度のある甘い香りを漂わせている。
「名無しさんー。わたし達、こっち片付けちゃうね」
「うん。よろしく」
調理場の方を振り返りながら返事をして、土井先生に目を戻すと、「やはり買うまで帰れないのだろうか」と言いたげな様子で、俯き加減にカステイラを見つめている。
その視線が、不意に小皿から外れた。
先にあるのは、食堂にも南蛮菓子にも似つかわしくない薬の包みだ。それを訝しんだ土井先生が眉根を寄せるより早く、私は薬包を懐にしまった。
薬包が消え、土井先生は視線をカステイラに戻した。不安そうにカステイラを見つめる姿に、調理場からくすくすと笑い声が響く。
私はクラスメイトたちと顔を見合わせて、そっと肩を竦めた。
「何も入ってないですよ、それは」
「……どういう意味だ」
「そのままの意味です」
「あれは?」
土井先生が隣の机に置かれたカステイラを指したので、私はほんの少し意味深長な雰囲気で微笑んでみる。
勿論、どのカステイラにも、レシピ以外のものは何も入っていない。
そもそも薬包の中身は肌荒れに効くというもので、人に食べさせても飲ませてもどうってことのない、つまらないものだ。隠したのは、肌荒れを気にしているなんて知られたら恥ずかしいから。
真相はともかく、疑心暗鬼になってもらう方が断然楽しい。
「食べてくださらないんですか?」
そう声を掛けてみると、土井先生は弱々しく笑いながら調理場を盗み見る。
「……食べても平気なのか?」
小声での問いに、私は再び笑みだけを返した。
土井先生はくのいち教室での授業中も、大体こんな風だ。からかわれて、つつかれて、いじられて、困り顔か苦笑い。怒鳴られることもあるけれど、私たちは土井先生なんか全然怖くない。でもシナ先生に言いつけられたら困るので、一応は反省したふりをする。
土井先生は”ちょろい”とみんな言っている。
そんな土井先生も可愛いと私は思うのだけれど、クラスメイトの手前、土井先生を好きだとは言い出せずにいる。
「あれ、土井先生ってば……まだ食べてないんですか?」
そうこうしているうちに、調理場の片付けを終えた級友達が戻ってきた。そして各々、隣の机に置いてあったカステイラの皿を手にして土井先生を囲む。
「土井先生、買ってくださーい」
「一年は組のおやつにどうですか?」
左右からひとりずつ。
「それなら火薬委員にも! お買い得ですよ」
更に斜め前からも迫られて、土井先生は苦笑いしている。
つい先日、物売りに化けて情報収集をするという実習を終えたばかりのせいか、みんな乗りがいい。
「バザーの宣伝を兼ねて、先生方に差し入れっていうのはいかがです?」
じりじりと土井先生に近づく3人からは、カステイラを口に押し込みそうな気配すらする。
私も参戦しようかな。それとも、ここで助け船を出して土井先生に恩を売っておくべきか。
思案しながら、戦況を見守る。
土井先生の分が悪いように見えるけれど、相手はくのたまなのだから、本気で逃げようと思えば逃げられる。つまり、土井先生は要領が悪いんだろうなぁ。
しょうがない。
こっそり溜息を吐いて、好き勝手言い放題のクラスメイトに近付いた。
「ねぇ、みんな……その状態じゃあ、土井先生、味見もできないよ」
と口を開いてみると、食堂にいる全員が私を見た。
「……そう言われれば、そうね」
「名無しさんが言うなら」
「仕方ないなぁ」
めいめいわざとらしく言いながら、友人達は土井先生から一歩ずつ離れる。
「食べないんですかぁ?」
一人が言うと、残りのふたりがくすりと笑うので、私はどっちつかずの曖昧な表情を作った。そして、土井先生がこの場で取りえる行動の中で、一番ましなものを考えてみる。
きっと、土井先生が考えたのも同じようなことだったのだろう。先生は嘆息を漏らした。
「わかった、わかった。買えばいいんだろう」
土井先生は、渋々財布を取り出した。
後日、くのたま達に何を言われるかを想像すると、財布を出してしまうのが最も賢明な判断だったのだろう。当然、私が考えたのも同じことだった。
「やったー!」
「さすが土井先生!」
「それで、幾つ買ってくれるんですか?」
はしゃぎだす友人達の隣で、私も一緒になって手を叩く。
「幾つって……一切れでいいんだが」
間髪入れずの大ブーイング。
土井先生は困ったように眉尻を下げる。
「じゃ、じゃあ……二切れ」
ケチだ守銭奴だとの言葉が飛び交う。
は組の生徒が可愛くないんですか。火薬委員を労う気はないんですか。山田先生だって食べたいと思います。カステイラも買えないだなんて、給料幾ら貰ってるんです。そんなに薄給なんですか。なんてことまで捲し立てられて、土井先生は本気でたじろいでいるようだ。
あーあ、もっと上手くあしらえばいいのに。なんだかイライラしてきてしまう。
さっさと終わらせてしまおう、と思いながら、私はクラスメイトに向かって口を開く。
「とりえず二切れでいいじゃない。食べたらもっと買いたくなるかもしれないし」
この辺にしておこう、という意味を込めて笑顔を向けると、彼女たちは納得したように頷いた。
土井先生がようやくカステイラに手を伸ばした。カステイラは全部で三切れ。
「お茶もどうぞ」
私が出した湯呑みに土井先生は手を伸ばしかけたけれど、警戒した様子で手を引っ込める。
「有料か?」
「いいえ」
教室へ戻る準備を整えたクラスメイト達が、可笑しそうに笑う。
「じゃあ、あたし達はこれをシナ先生に届けてから教室に戻るね」
「名無しさんは?」
そう訊かれて、少し考えてから口を開いた。
「チケットができてから戻る。先行ってて」
「わかった。土井せんせ、またねー」
「次はもっと買ってね!」
苦笑いをしている土井先生の向かいに腰を下ろして、桃色の装束達を見送った。
彼女たちの賑やかなお喋りと気配がすっかり遠ざかってから、土井先生は大きな溜息を吐いた。
「やっと静かになった……苗字がいてくれて助かった」
そう言われて、思わず目を見開いた。
土井先生を食堂に引き留めたのは、私だった気がするのだけれど。違ったかな。
「あいつらに何か言うと何十倍も返ってくるだろう、苗字の一言がないと永遠に止まらない気がする」
しみじみと言う先生に、私はただ小さく笑う。
この学園で一番若い教師だからといって、くのたまにからかわれていていいのだろうか。山田先生や厚木先生のようになるには、まだまだかかるのかな。
皿に乗った柔らかな黄色から視線を上げると、カステイラを頬張る土井先生と目が合った。
「ところで、チケットって何のことなんだ?」
そう言う土井先生からは、さっきまでの居心地悪そうな様子は微塵も感じられない。
それが嬉しくて、でも同時に恥ずかしくもあって、なんだか緊張してしまう。
悟られないようにと、私は慌てて椅子から立ち上がった。
「これです」
隣の机に置いていた小くて白い紙の束を、持ち上げて見せる。
「まだ白紙なんですけど……私、お菓子の係じゃないんですよ、本当は」
「でも、クラスで一番料理が得意なのは名無しさんじゃなかったか?」
土井先生の言葉に、頬が熱を持つ。
何でそんなこと知ってるんだろう。
「そんなことないですよ。今回は、どの係になるかはクジ引きで決めたんです」
「それじゃあ、どうしてここに?」
「監督というか……アドバイザーです。本当はカステイラを作りながら、こっちも手伝ってもらおうかなーって思って持ってきたんですけど、途中からお喋りに夢中になってしまって。だから、まだ白紙なんです」
ふうん、と言いながら土井先生はお茶を啜る。
「それで、結局は何のチケットなんだ?」
「考えるのが面倒だから『願いを一つ叶える券』にしちゃおうかな、って」
紙の束をひらひらと揺らして言いながら、土井先生の向かいの席に置いた。
「当番を代わるとか、苦手なおかずを交換するとか、課題を手伝うとか……あまり細かく決めても売れ残りそうだし」
「それは、苗字がひとりで実行することになるのか?」
「私が作った分はそうです」
答えながら、筆と硯を土井先生のいる机へと運ぶと、二切れ目のカステイラを食べる手を休めた土井先生が、真っ直ぐに私を見た。
「同じ値段でも、内容に差が出てしまわないか?」
「……そうなんですよね。でも三種類作るつもりなんです。値段に応じて叶える内容も変える、って感じで」
なるほど、と土井先生は呟く。
「先生、一枚買ってくださいませんか?」
すとん、と椅子に腰を下ろして、土井先生の顔を覗き込んでみる。この間の実習の成績は悪くはなかったし、さっきだって助け船を出してあげたのだから、一枚くらい買ってくれないだろうか。
でも、聞こえたのは期待はずれの返答。
「やめておく」
「どうして?」
だって、と言って土井先生は呆れたように笑う。
「使い道がないだろう」
「そうですか? 採点にプリント作り、委員会や補習の手伝い……何でもいいですよ。そうだ、土井先生には特別サービスで、私の卒業後も有効にしますから」
喋りながら筆を走らせる。装飾の無い、文字だけのものを二枚作る。
「益々、使い道がない」
つれない態度で湯呑みに手を伸ばす土井先生を、上目遣いで見つめてみるけれど、さりげなく横を向かれてしまう。
「デートとか、どうですか」
凛々しい横顔にそう言ってみると、土井先生はお茶を噴いた。
そして暫く咳き込んだ後、真っ赤な顔で私を見る。
「な、何を言ってるんだ……」
ただの冗談じゃないですか。そう心の中で言い返しながら、ようやくチケットになった紙を手に取る。
「土井先生が買ってくれないなら、自分で買うからいいです」
墨が乾いたのを確かめて、綺麗に書けている方を土井先生に差し出す。
「受け取ってください」
「使わない、という選択も自由なんだな?」
静かな声で訊かれて、どきりとした。
「それは……そうです」
動揺する私の手からチケットを受け取ると、土井先生は白紙の束を指さした。
「何枚あるんだ?」
「50枚くらいです。それぞれ15枚ずつは作ろうかなーって」
私がそう言うと、土井先生は一瞬だけ眉間に皺を寄せた。けれども、すぐにいつもの優しい笑みを浮かべる。
「チケットの内容は、当番を代わるだけにしなさい」
表情とは裏腹に語気は強く、私は僅かに怯んだ。
「え、でも……何でもっていう条件の方が売れると思います」
「だからだ。何か問題が起きては困るだろう。シナ先生にも怒られるぞ」
叱るような口調に、思わずむっとした。
私はわざと土井先生から視線を逸らして、硯の中の墨を睨む。
シナ先生ならともかく、土井先生にそこまで口を出す権利はないはずだ。担任でもないくせに。
そもそも、何が起きるっていうんだろう。どうせ、ほとんどの忍たま達はくのたまにびびってバザーを冷やかしにも来ないだろうし、くのいち教室内での女の子同士のちょっとしたお遊びだ。
私の機嫌が悪くなったのに気付いたのか、土井先生は小さく溜息を吐く。
「仕方ない、一枚買おう。幾らだ?」
「え?」
驚いて顔を上げたけれど、土井先生は授業中となんら変わらぬ様子でいる。
「一枚、売ってくれないか?」
「あっ……はい。ええと……」
少し躊躇いながら値段を告げ、お金と交換に渡したそれを、土井先生はまじまじと見た。
ただの紙に、墨で文字を書いただけのものなのに。
「もう有効なのか?」
問いに、少し考えてから口を開いた。
「はい」
何か用事を言いつけられるのだろうか。それとも、生意気な態度を改めるように、なんてことを言われるのだろうか。
ドキドキしながら、手の汗を膝で拭う。
「それなら」
土井先生に渡したばかりのチケットが、下を向いている私の視界に入った。
「これから作るチケットの内容を、さっき言ったものに変えること」
「なっ……」
私が立ち上がった勢いで、座っていた椅子が倒れた。
大きな音が食堂に響く中、硯から転がり落ちそうになった筆を、土井先生が指先で受け止める。
「有効なんだろう?」
私の方を見ずに言いながら、先生は筆を硯の上に戻した。
「ずるいです」
「叶えてくれないのか? ちゃんと金も払ったのに」
確かに、そうだ。
これは土井先生がお金を出して買ったチケットなのだから、先生の願いを叶えないのは間違っている。
「……分かりました」
そう返事をしたものの、やっぱり納得いかない。
クラスメイトがここにいてくれれば、土井先生をやりこめることができるのに。もう少し、引き留めればよかった。
悔しい。
私が唇を噛むと、土井先生が宥めるような声を出す。
「不貞腐れるな。二枚売れたんだから、いいじゃないか」
「一枚は私が買ったやつじゃないですか。それは有効なんですか?」
土井先生は「これから作るチケット」と言ったので、その言葉通りに受け取るならば私が先生にあげたものは願いを叶える券のままだ。
「無効にしてもいいが……卒業したら、デートしてくれるんじゃなかったのか?」
しれっとそう言うと、土井先生はお茶を飲む。
「そんなの……ずるいです」
「くれると言ったから、受け取ったんだぞ」
湯呑みの底から視線をあげた土井先生と目が合うと、彼は目だけで笑った。
そこで私はようやく間違いに気付いた。
今まで見えていたものが全て崩れて、本当の景色が鮮明になる。
黒い忍装束のこの人は、忍術学園の教師だ。忍者で、教師で、私より10も年上の大人。きっと、くのたまに手玉に取られた振りだって簡単にできてしまうのだ。ちょろいのは土井先生ではなく、私達くのたまだ。
というか、私だ。
完全に黙り込んだ私を見て、土井先生が、ふっと笑う。
それは、呆れたような、からかうような、意地悪に甘やかすような、とにかく初めて見る笑顔だった。
「でも、そうだな……お礼をしないとな」
土井先生はカステイラを一切れ持ち上げると、立ったままでいる私の口の高さで止めた。
「ほら」
土井先生が何をしたいのか分からなくて、戸惑いながら首を傾げた。
「口、開けて」
優しい声につられて口を開くと、土井先生が椅子から腰を上げたのが見えた。
ふわふわとした感触を唇に感じた後、舌の上に広がった甘さに驚いて、私は後ずさった。
そのまま、どこまでも逃げてしまいたかった。けれど、すぐに机にぶつかって足は止まった。
「危ないぞ」
両手で押さえた口の中には、カステイラの欠片が潜む。
ひたすら早くなり続ける心臓の鼓動を感じながらそれを飲み込むと、土井先生は静かに微笑んだ。
「内緒だぞ?」
頷きながら、一体どれのことだろうかと考える。
「全部だよ」
見透かしたようにそう言って、土井先生は「願いを一つ叶える券」を壊れものを扱うような手つきで懐にしまう。
「これは苗字の気が変わらなかったら使わせてもらうよ。そうだなぁ……早くても二年後くらいだな」
土井先生は独り言のように言い終えると、いつもと同じ優しい笑顔を私に向けた。
「名無しさんの作ったカステイラ、美味しかったよ。ごちそうさま」
片付けを頼んでもいいかな、と付け足すように言われて頷いた私の顔は、真っ赤になっていたと思う。
もういいから、早く行って。食堂を出ようとする土井先生の背中にそう念じたのに、彼は足を止めた。
「そうだ」土井先生が振り向く。「食事をしっかり取って、できるだけ早く寝た方がいいぞ。規則正しい生活が一番だ」
「え? ……まだ、夕方にもなりませんよ」
咄嗟に窓の外を確かめたけれど、まだ日は高い。
土井先生は人差し指で自分の頬を指すと、にっこりと笑う。
「肌荒れの話だ」
声にならない悲鳴を上げた私を置いて、土井先生は食堂を立ち去った。
”当番を代わる券”を作り終えて、私は机に突っ伏した。
乾かす為に並べていたチケットが数枚、床に舞い落ちていくけれど、そんなことは構わない。
色々なことを考えすぎて、これ以上は頭が働かないし、動悸が治まらない。
「あーあ……」
あらゆる意味で、どうしようもない。
どうしようもない、本気の恋に落ちてしまった。土井先生がどんなつもりでいるのかも、全く分からないのに。
卒業を待っていてくれるのだろうか。それとも今までの仕返しとばかりに、からかわれただけだろうか。
私はあの小さな紙切れに、願いを込めてもいいのだろうか。
「大人ってずるい」
カステイラの甘さを思い出しながら、一人きりの食堂で決意と共に呟いた。
卒業したら絶対に、土井先生を振り回してやる。