手紙★

 僅かに太陽の気配が残る夜空の下を、アパートへ向かって歩く。
 パンの入った袋が、妙に重く感じる。
 それは実際の重量のせいではなく、パンを買ってくれた人のせいだろう。

 雑渡さんの告白は、私をひたすら混乱させた。
 
 突然発生した竜巻ではなく、予報の出ていた台風が直撃したようなものだ。油断しきった私はそれに備えておらず、事態に直面して慌て、今は途方に暮れている。
 あまりにごちゃごちゃと散らかって、何を考えたらいいのかすら分からない。

 アパートの敷地に足を踏み入れると、きりちゃんのことが脳裏をよぎった。

 今日は学校へ行ったのだろうか。寮住まいなのだから、そうそう休めはしないだろうけれど。
 そもそも彼は、叱られたくらいで学校を休むようなへたれではないか。
 私とは違って彼は逞しい。
 私は会社を休んでしまいたい。一週間くらい引きこもって、誰にも会わず、何も考えずにいたい。
 もしくは、明日になったら、全部なかったことになればいい。雑渡さんとのことも、半助君とのことも、きりちゃんのことも。
 煩わしいことは全部、消えて無くなればいい。

 恋なんて、面倒くさい。
 面倒くさいのに、どうして誰かを好きになってしまうのだろう。

 奇声をあげたい気分で部屋の鍵を開けると、真っ暗な部屋が私を迎えた。
 当然、テレビの明かりも、スニーカーも無い。

「ごめんね」

 呟きは誰に届くこともなく、明かりの点いていないキッチンに沈んでいった。代わりに浮き上がる罪悪感が、胸に満ちる。
 内鍵を閉めようと振り返って、郵便受けに何か入っていることに気が付いた。

「……何だろ?」

 郵便受けを開いてみると、入っていたのは折り紙の手裏剣だった。
 こんなものを置いていく人物の心当たりは、きりちゃんしかいない。でも、今日はさすがにここへ来ることはできないはずだ。

「昨日からあったのかな」

 手に取って見ると、鉛筆で何か書いてあるようだった。
 靴を脱ぎながら、キッチンの明かりをつける。

 青と水色の手裏剣には、見覚えのある字で私の名前が書いてあった。

 「名無しさんさんへ」

 やっぱり、きりちゃんだ。
 これはきっと手紙なのだろうと考えて、折り紙を開いていく。
 乾いた部屋の空気に、紙と鉛筆の芯の匂いが漂う。
 手紙は所々擦れて汚れ、消しゴムで消した跡が幾つも見える。それでも彼に出来うる限り丁寧に書いたのが窺えて、胸がいっぱいになった。
 きりちゃんは、昨日の今日でここまで来たのだろうか。

 名無しさんさんへ

 昨日はごめんなさい。本当に、本当にごめんなさい。
 ぼくのせいで名無しさんさんも、土井先生にたくさん怒られたと思います。ケンカになりましたか? そうだったらごめんなさい。
 でも土井先生は、名無しさんさんがあやまったらすぐに、ゆるしてくれると思います。ゆるしてもらえなかったら、今度ぼくもいっしょに、土井先生にあやまります。

 山田先生と土井先生に、名無しさんさんの家に一人で行ってはいけないと言われました。めちゃくちゃ怒られました。だからもう遊びに行けません。

 ぼくが名無しさんさんにもらったカギは、土井先生に渡しました。返してもらえましたか?

 今までずっと、ご飯とか、ジュースとかおかしとか、ありがとうございました。おいしかったです。
ひみつ基地みたいで楽しかったし、家ができたみたいでうれしかったです。

 ぼくはまた名無しさんさんと土井先生と遊べたらいいなと思っています。3人で、たまにだったら、遊んでもいいそうです。
 それに中学生になったらきっと、ゆるしてもらえるはずなので、それまで待っててくださいね。
 名無しさんさんがぼくのことを嫌いになってなかったら、また遊びに行きたいです。

 この手紙は中在家センパイに、名無しさんさんの部屋のポストに入れてもらいます。

 へんじはいりません。土井先生にはナイショにしてください。

 きり丸

 謝らなくてはいけないのは、私だ。

 キッチンの床に座り込み、折り紙を元の手裏剣の形に戻そうと試みる。

 でも、どうしても折り直せない。

 私は折り紙には詳しくない。考えてみれば、折り紙で手裏剣を作ったこともないのだ。
 開いてしまう前に、どうなっていたのかよく見ておけばよかった。

 先のことをもっとちゃんと考えてから、行動に移すべきだった。
 どうやったら、元の形に戻せるのだろう。

 瞬きをすると、冷たい床に涙が一つ落ちた。

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