真夜中の電話★

 私はそこで飛び起きた。
 夢と現実の間で頭を振ると、自分がどこにいるのかが見えてくる。ここは狭いアパートの、安いベッドの上。
 私の部屋だ。

「夢……当たり前か……」

 掠れた独り言の後、びっしょりと汗をかいているのに気が付いた。

 うなされていたのだろうか。

 色々と問題のある夢ではあったが、悪夢という程でもなかったのだけれど。
 ともかく着替えようと、のろのろとベッドから出た。

 結局、気分をすっきりさせたくてシャワーを浴びた。汗は流れていったのに、奇妙な夢の余韻は残ったままだ。

「変な夢、見ちゃったな」

 冷たい床をなるべく踏まないように、爪先で跳ねるようにベッドへ移動する。
 掛け布団の下に潜り込んで、溜息を吐いた。

 雑渡さんの顔を、まともに見られなくなる理由が増えてしまった。
 好きなんだろうか。
 夢に見た相手を、実際に好きになってしまうことも結構あるらしいけれど。

「ないない」

 口ではそう言いながらも、意識してしまう気がする。勿論、雑渡さんの気持ちを知っているので既に意識はしている。だから余計に、これ以上は彼について考えたくない。

 そもそも私には半助君がいる。

「……半助君。土井、半助」

 暗い部屋に、呟きがこぼれる。
 そう、私の恋人は半助君で、雑渡さんじゃない。

「土井先生と、別れる……か」

 夢の中の雑渡さんの言葉を思い出して、不安になった。私は無意識に望んでいるのだろうか。

「そう……なのかな」

 夢と現実は違うけれど、否定はしきれない。
 付き合っているから、恋人だから半助君を選んでいるだけで、私は心のどこかで別の選択もありだと思っているのだろうか。
 半助君と別れて雑渡さんと付き合う、というような選択が。

 こうして比べている時点で、私は半助君を裏切っているのかもしれない。

 胸のざわめきに勝てず、枕元に置いていた携帯を手に取った。

 眠そうに唸るのが聞こえた後、「もしもし」と寝ぼけたような声が聞こえた。
 今更ながらに時計を見ると、午前3時を過ぎたところだった。

 半助君は当然眠っていたのだろう。

「もしもし? ……名無しさん?」
「半助君」
「……どうした? ……何か、あったのか?」

 ほうっ、と煩わしそうに息を吐くのが聞こえて、私の躊躇いは消えてしまった。

「どこが好き?」
「……ん?」
「何で私と付き合ったの?」
「え? ……名無しさん、どうしたんだ……ちょっと待ってくれ」

 夜中じゃないか。という呆れ声にもかまわず、私は続けた。

「私のこと……好きだよね?」

 面倒くさい女。自分でもそう思う。
 でも、これで嫌われるなら構わない。

 だって、実際私はそういう人間なのだからどうしようもない。今まで我慢も遠慮もしてきた。それでうまくいくならいいけれど、今の私たちはうまくいっているのか分からない。

 いや、うまくいっていない。だから、真夜中に電話を掛けている。

 半助君は私なんかのどこがいいんだろう。本当に好きでいてくれてるんだろうか。犬や猫を拾ってしまったのと同じように、責任感から私と付き合っているんじゃないか。
 
 時々そう思っていた。

 だって、半助君は仕事ばかり。会話の内容も殆どが学校のことだ。きりちゃんと一緒にいるのは楽しいけれど、ふたりきりでだって会いたい。部屋でだらだら過ごすんじゃなく、どこかに出掛けたりしたい。

 ずっと言えなくて、言おうとしてこなかった。
 彼の本音を聞くのは怖い。

「好きに決まってるだろう……寝ぼけてるのか?」
「半助君は私と仕事、どっちが大事?」
「それは……」

 分かってる。
 分かっているけど、嘘でいいから、大事なのは私だって言ってほしい。

 私だって仕事は大事だ。誰だってそうなのは分かりきっている。仕事をしなければ収入を得られない、食べられない、生きていけない。デートもできない。

 でも、私が聞きたいのはそんな現実じゃなくて、都合のいい嘘。今だけでいいから、私を安心させたいって思ってほしい。

 なりふり構わず、仕事も何もかも全部捨てられるくらいに私を好きだと言ってほしい。世界で一番大事だと言われても、どうせ信じるのは一瞬だけ。
 明日になれば、現実が見える。いつも通りの、忙しい私達に戻る。

 だから、この場をやり過ごすために、これからもふたりで過ごすために、今だけ嘘をついてほしい。

 お願い。

 願いは空しく沈黙が続き、半助君の困惑が携帯電話越しに伝わる。
 
 嘘でいいから何か言って、繋ぎ止めようとしてほしい。

「もし……もしも溺れてたら、生徒と私、どっちを助ける? きりちゃんと私、どっち?」
「名無しさん、私は……」

 不意に、それ以上聞くのが怖くなって電話を切った。
 布団の上に放った携帯を追うようにベッドに突っ伏すと、私の頭は段々と冷静になっていく。

 絶対に言ってはいけないことだった。

 馬鹿なことをしたとは思うのに、後悔しているわけではないのが不思議だ。

 きっと、半助君は嘘を吐かない。
 限りなく嘘に近い事実や正当な理由にする為に、巧妙に言葉を選んで言い換えるはずだ。傷つけないように、優しい言葉と柔らかい口調で、私を選ばない理由を告げるだろう。
 それはどんなに正しくても、私の求めるものではない。
 
 私が彼に求めているのは誠実さではなく、真っ赤な嘘だ。飾り立てたその場限りの嘘で、私がどこにも行けないように器用にからめ捕ってほしい。

 半助君がそうしないことは、分かりきっている。

 私の望むことは我が儘で愚かだけれど、その愚かさすら受け入れてほしいと願ってしまう。
 そうまでしても手元に置いておきたい女だと思われたい。

 我ながら酷い女だ。そう思って、自嘲する。

 半助君からの着信で光り続ける携帯に、ゆっくりと手を伸ばした。

「夜中に変な電話してごめん。考えさせて」

 それだけ打って、送信した。

 考えさせて、という仄めかすような言葉が示す内容は、自分でもよく分からない。
 ただ、狡いことだけは知っている。

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