冬の日没は早い。
定時に退勤し、雑渡さんと鉢合わせしないように慌てて車に乗り込んだ。
「うー……寒い」
車内は暖房をつけてもなかなか暖まらず、冷えきったハンドルに指先の温度が奪われていく。
帰宅ラッシュの時間帯。道は混んでいて、家に着くまでに大分時間がかかりそうだ。
帰りを急ぐ理由はないのだから、車の中で長時間過ごすよりも、残業した方がましだったかもしれない。
とはいえ、残った仕事も特にはなかった。
「やめた」
すぐ手前の道を左へ曲がり、比較的空いている裏道を通ることにした。
そして、アパートではなく一番近いショッピングモールを目指す。
どうせ帰宅しても、半助君のことを考えるのが目に見えている。それなら気分転換に書店をうろついてから帰ろうと思った。
職場では雑渡さん。アパートでは半助君。そして、きりちゃん。
考えるのが男性のことばかりで、嫌になってしまう。
クリスマスが近くなければ。例えば今が6月だったなら、もっとましな状況に落ち着いていたのだろうか。少なくとも、半助君との仲はこじれていないかもしれない。
でも、そんなことを考えたって仕方がない。
今は今なのだから。
自嘲しながら、私は車を走らせた。
どうしてすっかり忘れていたのだろう。
駐車場の5階に車を停めた。そこからエレベーターに乗る前に、私は既にここへ来たことを後悔し始めていた。
理由はとても単純で、クリスマスだからだ。
明るいクリスマスソングが、私の気分を滅入らせる。ショッピングモールがクリスマス仕様でないわけがない。平日とはいえ、プレゼントを求める人々はそれなりに多いだろう。
このまま車に戻るか、エレベーターに乗るか。逡巡しているうちに、エレベーターが一つ下の階まで上がってきた。
誰か乗っていたら、このまま帰ろう。
そう考えながら深呼吸すると、扉が開いた。やたらと明るく狭いその空間には、誰もいなかった。
残念に思いながらも、逃げずにすんだことを私はどこかで嬉しく思っているようだった。
モール内に流れる賛美歌にすら胸がざわざわするけれど、とても遠くの、自分とは関係ない出来事だと思えば多少は楽しい気持ちにもなる。
買い物をしている人たちが、みんな幸せそうに見えるからだ。
おもちゃ売場の老夫婦、パステルカラーの雑貨に囲まれて首を傾げている男の子たち。
幸福そうな彼らを眺めながら、書店を目指す。
不意に、時計屋のショーケースが私の足を止めた。
ごつい男物の腕時計が並ぶ。
3年前のクリスマスに、似たような時計を購入した。あの男が欲しがっていたから。喜ぶと思ったから。
あのプレゼントを渡すときまで、私はとびきりロマンチックな夢を見ていた。
実際は、夢は夢でも悪夢だった。
「クリスマスプレゼントをお探しですか?」
突然声を掛けられて、はっと顔を上げた。
小綺麗で愛想の良い店員さんに笑顔を向けられて、私はたじろいだ。
「あ……いえ……ちょっと見てただけです。ごめんなさい」
会釈して、足早にその場を立ち去る。
時計屋から見えなくなるように、反対側の駄菓子屋に入り、そのまま店を通り抜けた。この通路からでも書店には行ける。
思い出と今現在が急に混ざり合って、まるでタイムトリップしたような気分になった。賑やかさも相まってか、目眩がする。
落ち着こうと通路の端で立ち止まり、大きく息を吐くと、何故だか無性に半助君に会いたくなった。
でも、会えない。
どうしてこうなってしまったのだろう。
初めは、クリスマスを前にした単なる不安と苛立ちだったはずだ。思い出したくない過去の出来事と、これから半助君と迎えるクリスマスが重ならないことを祈っていたのに、最悪な方向へ進んでいる。
舵を取ったのは私だ。
鞄の持ち手をぎゅっと握り締めた。
再び書店に向かって歩きだし、ぼんやりと考えを巡らせる。
半助君とは別れた方が、彼のためになるだろうか。
振ってしまえば私は傷つかないのだろうか。
それとも、距離置こうと言われたのだから、私が振られる方が先だろうか。
もしかしたら、私たちはこのまま自然消滅するのかな。
ううん。
多分、半助君はそうしないだろう。
私が彼を避け続けない限りは、きっと彼はきちんと片を付ける。
彼のそういうところが、すごく好きだ。
真面目な人だ。不器用にも思えるほど。
そのくせ、大抵のことは器用にこなしてしまう。でもずぼらで、時々詰めが甘い。そう思わせておいて、彼は全て巧くまとめてしまう、見えないところで、とても巧妙に。
彼は優しい。それはいつも正しい優しさで、何かを得ようとする狡い優しさではない。
そう考えると、半助君には自分の不誠実さを突きつけられる。
私は狡い。
自分で思っているよりずっと、そうありたいと思う姿の何倍も、狡い人間だ。
私はきりちゃんに合い鍵を渡していたことを黙っていた。クリスマスにこだわる本当の理由も言えない。勿論、雑渡さんとのことも隠している。
理由は全部、「半助君に嫌われたくない」だ。
でもそれは彼が好きだからではなくて、私が傷つきたくないから。
そう。だから、半助君があの男と同じなわけじゃない。私が、あの男と同じなのだ。
「時計なんて、あげなきゃよかった」
口の中で小さく呟いた。
あの日、本当は心をあげた。必死でバイトをして、リサーチをして、散々悩んで購入を決めた。喜んでもらえると思った。彼が喜んでくれれば、私も幸せになるはずだった。
好きな人の笑顔が見たかった。
けれども、あいつが持ち去ったのは時計だけで、私の心は足下で砕けて散った。粉々に。
同じ思いをしたくないなら、3年前の自分と同じ位置にいなければいいと、無意識に考えたのかもしれない。
半助君より優位に立って、大事にされていると感じたかった。
3年前のクリスマスに、私があの男にしたように。
でも今は、そんな風には思わない。
私はやっぱり半助君の笑顔が見たい。あの人の、とびきり優しい笑顔が好きだ。
大好きなのだ。
だから彼にはいつも笑顔でいて欲しい。今日も明日も、クリスマスも、来年も。
書店の入り口に設けられた手帳コーナーを眺めながら、そんなことを考えた。
店内をぐるりと見渡して、できるだけ人の少ない方へと進む。特に何かを買う予定はない。
できるだけ静かな場所で、私に感心のない人々の中に埋もれたかったのだ。
「名無しさんさん?」
でも、失敗。