この髪、どうにかならないものかな。
半助君の毛先を摘む。
洗い流さないタイプのトリートメントをあげたのに、一向に改善しない。食生活のせいだろうかと考えて、何を食べているのか聞いてみると、私よりもよっぽどまともな食事をしていた。殆どは、学校での給食のおかげのようだけれど。
となると、ストレスかな。
「ねぇ、起きてー」
「……んー……んっ?」
頭を何度も突いていると、半助君が飛び起きた。
「何時だ? 朝か?」
半助君が慌てた様子で時計を探すので、笑ってしまう。
冬の朝は暗いので、時間が分からずに焦るのはよく分かる。
「寝ぼけてんの? 夜中だよ。1時。もう……0時過ぎから何回も起こしたのに」
「なんだ……そうか……すまん」
安心したように大きく溜息を吐くと、半助君は項垂れた。
「眠れた?」
「ああ。ありがとう」
小さく笑いながら、半助君は顔を上げた。そして、パジャマ姿の私を見て不思議そうな顔をする。
「いつの間に風呂に入ったんだ?」
「ご飯食べ終わった半助君が『眠くて死にそうだ。10分だけ』って言って4時間熟睡してる間に」
ついでに、普段より入念なスキンケアをする暇もあった。
そのうち起きるかな、と思っていたけれど全くその気配はなく、起こすのも可哀想で、私はひとりで静かに持ち帰りの仕事をしていた。
明日も平日なので、お互いに仕事がある。泊まっても構わないのだけれど、朝にバタバタするのはできれば避けたくて、0時過ぎからは何度か声をかけていた。
今日はゆっくりできると思っていたのに、話ができたのは1時間だけだ。
「家に帰って寝た方がよかったんじゃない」
「本当にごめん」
素直にそう口にしただけなので、別に嫌味で言ったわけではない。謝られるなら、もっと嫌味っぽく言えばよかった。
炬燵に入りながら、可能な限りさりげなく、訊きたかったことを口にしてみる。
「24日、クリスマスイブ……会えそう?」
うーん、と半助君は唸った。
「どうかな……遅い時間なら、多分大丈夫だとは思うが」
苦笑する半助君に、溜息を吐く。
「そんなに忙しいの? 24日って、もう冬休みじゃないの?」
「授業はないが、仕事がないわけじゃないからなぁ……会議の準備と、顧問の方でも色々とやらなきゃいけないことがあって。それに、私より名無しさんの方が忙しいんじゃないか?」
「私は19日まではそこそこ忙しいけど、その後はそうでもない」
そうか、と言いながら、半助君はベッドから出た。まだ眠そうな顔で立ち上がって伸びをすると、キッチンとの仕切り戸へ向かって歩いていく。
「水もらう」
「お茶淹れようか? スポーツドリンクもあるよ?」
「うーん、水でいい」
キッチンから冷たい空気が流れ込んでくる。
グラスに水を汲むTシャツの、すらっとした背中を睨む。
半助君が乙女心に疎いことくらい分かってる。師走だし、仕事が忙しいことも分かってる。私だって忙しい。
でもクリスマスだ。しかも、恋人になって初めてのクリスマス。1日丸々休みを取ってほしいと言ったわけじゃないのだから、夜くらいは予定を空けておいてほしい。
でもそれって、我が儘かな。
炬燵の天板に突っ伏して、半助君がグラスを片付ける音を聞く。家事ができるせいか、気を遣っているのか、こういうところはマメだ。
ぺたぺた、という足音が寝室に戻ってきたので、ゆっくりと顔を上げた。
「寒いな」
「冷たい水なんか飲むからでしょ。それに、そんな格好してるから……」
困り顔で笑う半助君は、半袖のTシャツの下に変な柄のトランクス、という格好だ。
「何か穿きなよ。ってか、泊まってく?」
「帰るよ。名無しさんも仕事があるのに、遅くまでごめん」
半助君はベッドに座ってジーンズを穿く。
長い脚だ。
靴下を履くのをぼんやり眺めていると、眠くなってきてしまった。眠気に耐えながらも、目を閉じる。
頬杖をついて、眠気を逃がすように息を吐くと、半助君が笑うのが聞こえた。
「名無しさん、眠そうだな」
「んー……もうすぐ、2時だからね。誰かさんがベッド占領するし」
「もう空いてるから、ベッドに入ったらどうだ?」
「見送ってから」
えいっ、と目を開けて、勢いよく立ち上がった。炬燵から出ると、部屋の中はとても寒い。
「寒っ……」
小さく呟きながら、急いで室内履きに足を突っ込んで、床に投げてあったストールを掴んで巻き付けた。
これで玄関まで見送ることができる。
帰り支度を済ませた半助君に向かって、私は手を差し出した。
体温の高い手に引かれながら、キッチンの脇の玄関を目指す。
「電気点けて」
「すぐ行くからいいよ」
そう言って、半助君は暗い玄関で靴を履く。
ダウンジャケットの背中に爪を立てて滑らせると、妙に寂しい音がした。
「何してるんだ?」
不思議そうな声音で言いながら、半助君は振り向いた。
帰ってほしくないような、帰ってほしいような、どっちつかずな気分で彼に抱きつくと、半助君は長い腕でぎゅっと抱き締めてくれる。
髪を撫でられて顔を上げると、優しいキスが降ってきた。
やっぱり帰らないでほしい。
そう思ったのを見透かしたように、半助君の唇は離れていく。
「今日は遅くまでごめん」
「……それはもういいって」
「じゃあ、また」
半助君は慣れた手つきで、ドアチェーンを外して内鍵を回した。ドアから入る氷のような風と入れ替わりに出ていこうとする彼を、私は呼び止めた。
「半助君」
ぱっ、と振り向いた彼と目が合って、私は少し口ごもる。
「あのね、クリスマスイブ……」
私の言葉に被せて、半助君が口を開いた。
「無理だ。さっきも言ったけど、会えても遅い時間だから」
喋り終わらないうちにそう言われて、腹が立った。
「分かった、もういい! もういいよ!」
大声を出してすぐに、夜中だということを思い出して、小声で叫ぶように言う。
「ほら、帰って!」
「名無しさん」
「さようなら!」
半助君を突き飛ばすように、ドアから押し出す。
「……名無しさん」
悪かった、という声を無視しながら、内鍵をかける。
暫く待っても、半助君の気配は消えない。
いかにも怒っています、という音を立ててドアチェーンをかけると、仕方ないな、というような溜息が扉の向こうから聞こえた。そして、半助君の気配は部屋の前から遠ざかっていった。
いつもと同じように、私が戸締まりを終えるのを確認してから帰っていくことに、また静かに腹が立った。
苛立ったまま、ベッドに入った。
今日は結局、遅い夕飯を一緒に食べて、少しお喋りをしただけだ。しかも、半助君が担任しているクラスの授業の進みが遅いという話が主だった。
あとは半助君の寝息を聞いていただけ。
「私の話も、聞いてほしかったな」
暗い天井に向かって呟いた声が、思いの外大きく響いた。誰が聞いているわけでもないのに恥ずかしくなり、隠れるように布団を頭まで被る。
微かに半助君の匂いがして、ほっとしながら目を閉じた。
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