結局、七松君に紙袋をあげた。
私の車に着いたときには、彼の持っていた袋はすっかり破れてしまっていたのだ。バレーボールを抱えて帰ると言った七松君に紙袋を押しつけると、そのお礼にと駄菓子をくれた。
「気をつけてね」
「名無しさんさんこそ!」
大きく手を振る七松君を見送ってから、駄菓子の袋を開けてみた。意外なことに、中身は割れていなかった。
予想が外れて苦笑しながら駄菓子を口に運ぶと、懐かしい味に子供の頃を思い出した。
中学校、小学校、山田先生とクラスメイト、利吉君。
そういえば、きりちゃんは無事に寮に着いたかな。先生にばれて、怒られたりしていないかな。
半助君の顔を思い浮かべながら、車のエンジンをかけた。
車を駐車場に停めた。
すでに辺りは薄暗くなっている。
「遅くなっちゃった」
後部座席の膝掛けの下に紙袋を隠し、車を降りた。
あんなものを買って、どうするつもりなのだろう。紙袋の中の入浴剤のセット。なんとなく買ってみたものの、それから先のことはまだ何も決めていない。半助君にあれをプレゼントするのは、色々な意味で気が引ける。
会社へ向かって歩きながら深呼吸を一つして、気持ちを仕事モードに切り替える。
戻ったらまず、FAXの返信が来ているかを確認しよう。そしてその後で取材内容をまとめよう。山本さんに聞きたいことがあるけれど、出掛けているかなぁ。明日の朝一でもいいか。
できるだけ早く帰れるように、戻ってからの行動を頭の中でまとめる。
会社のドアまであと数歩。
「名無しさんちゃん」
「あ、お疲れさまです」
10メートル程先の横断歩道を、雑渡さんが渡ってくるところだった。
そのまま屋内に入ってしまうのは感じが悪い気がしたので、私は入り口の前で雑渡さんを待っていた。
帽子を押さえて駆け寄ってくる雑渡さんは、長い脚であっという間に距離を縮める。
「お疲れさま。どこ行ってたの?」
うっ、と一瞬言葉に詰まった。
サボっていたことを見抜かれたのかと思ったけれど、そんなわけはない。
慌てて、雑渡さんに笑顔を向ける。
「新しくできたカフェの取材です」
「へぇ、カフェか」
「はい。ランチに力を入れてるそうなんです。有機野菜を使ったメニューが幾つかあって、パンも自家製で何種類か作ってるそうです。コーヒーもこだわりの豆を仕入れていて、日替わりケーキセットもあるんですよ……車じゃないと行けないところなんですけど、駐車場も広いし、お店の雰囲気はゆったりしていて、ゆっくりお茶やランチするのにぴったりな感じでした」
「今、頭の中で文章まとめてる?」
図星を指されて戸惑いながら、雑渡さんにカメラを持ち上げて見せた。
「……写真、見ますか?」
「いや、いらないけど。名無しさんちゃん、何か口に付いてるよ。スナック菓子でも食べた?」
急いで雑渡さんから顔を背け、カメラを戻すと口周りを手で払う。
恥ずかしい。きっと七松君に貰った駄菓子だ。
「と、取れてます?」
恐る恐る、雑渡さんの方を向いた途端、強い風が吹いた。
反射的に首を竦めたけれど、雑渡さんが盾になってくれたお陰で私には殆ど当たらない。
中折れ帽を押さえる雑渡さんの腕越しに、落ち葉と砂埃が歩道を流されていくのが見えた。
「名無しさんちゃんさぁ」
「は、はい」
雑渡さんを見ると、雑渡さんはからかうように私を見ていた。
お菓子のくずのことでからかわれるのだろうか、と考えたが、雑渡さんの言葉は全く違うものだった。
「サボってたでしょ」
「え……」
どこで見られたのだろう。
もしかすると、雑渡さんもアーケードか駅ビルに仕事で来ていたのかもしれない。となると、高坂君も一緒のはずだ。
口を閉ざして硬直していると、雑渡さんがくすくすと笑う。
「何してたの? デート?」
「……いえ……その、ちょっと……買い物を」
「おやおや、本当にサボってたんだ」
「えっ?」
考えてみると、きりちゃんとの買い物を雑渡さんが見ていたなら、「デート?」なんて訊かないはずだ。
かまをかけられた、と気付いてももう遅い。
とりあえずこれ以上墓穴を掘らないように、言い訳も何もしないことにした。
「雑渡さん、酷いです」
雑渡さんは小さく笑いながらドアを開けた。先に入るよう促されたので、会釈をしてドアをくぐる。
それから互いに黙ったまま、階段を上がる。私が先に営業部のある二階に着いて、階段を上ってくる雑渡さんを振り返った。
「雑渡さん」
「ん?」
「さっきのこと、内緒に……」
私が言い終わらないうちに、雑渡さんは残りの数段をひょいと駆け上がると、私に帽子を被せた。
「分かってるよ」
ほんのりといい匂いがして、私は内心慌てながら、表面では何気ない風を装って帽子を脱ぐ。
すぐ側にいる雑渡さんを見ることができずに、手にした中折れ帽を見ていた。
「名無しさんちゃんってカフェ好きなの?」
「いえ、別に。仕事では行きますけど……普段はあんまり。あ、でもベーカリーと併設のカフェとか、イートインは結構行きますよ、パン目当てで」
「ああ、そういえば最近よくパンを食べてるね。マイブームってやつ?」
「そうです。でも、どうしてですか?」
「名無しさんちゃんとデートするなら、どこがいいかと思ってね」
にやり、と雑渡さんは笑うと、私の手から中折れ帽を取り上げる。
「し、しませんよ……デートなんか。彼氏いるんですから」
からかわれているのだと分かりつつも、蚊の鳴くような声で拒否をする。後から「あのとき断らなかった」と言われては面倒だ。
「いいけど、編集長にばらしちゃうよ?」
サボってたこと、と耳打ちして、雑渡さんは営業部へ入っていった。
冗談も大概にしてほしい。
私には彼氏がいて、クリスマスも近いのに。些細なことでも悩みたくないのに、どうして彼は私に構ってくるのだろう。
そんな風に苛つきながら、編集部のある三階へ駆け上がった。
編集部のドアの向こうでは、誰かが暢気に煎餅を食べる音がしていた。