暗い部屋の中で半助君の腕から逃れて、私は大きく息を吐いた。
空になったコーヒーの容器が目に入る。
「名無しさん? どうかしたのか?」
「……何か飲む?」
「いや、いらない」
「そう」
短く答えて起きあがろうとした私の手を、半助くんが掴んだ。
「名無しさん、何か話があるんじゃないのか?」
「何かって?」
分かっていたら訊かない。そう言いながら、半助君は眉間に皺を寄せた。
私は黙ったままTシャツを着て、電気ポットを手にキッチンへ向かう。
床は氷のように冷たい。つま先立ちで跳ねるように、キッチンマットに乗った。
半助君の溜息と布団を押し退ける音が、半開きの戸の向こうからするのを聞きながら、ポットに水を汲む。
帰り支度をしているのかもしれない。
ポットとスポーツドリンクのペットボトルを持って寝室に戻ると、半助君は下着姿のままベッドに座って俯いていた。
どうしたの? 帰る? クリスマスプレゼントは何がいい? クリスマスが終わっても恋人だよね? 来年も一緒にいるよね? 半助君は、あの男とは違うよね?
訊きたいことは沢山ある。でも、どれも怖くて口にできない。
不安にさせているのを知りながら、私も不安でたまらない。
なんだか、少しもうまくいっていない気がする。思い当たる理由は幾つもあって、同時に、そのどれもが理由ではないような気もする。
分かるのは、私が悪いのだということだけ。
「寒くないの?」
電気ポットの電源を入れながら、半助君に声を掛けたけれど、彼は返事をしない。
「着替え、こっちにしまってあるよ」
努めて明るく、クローゼットに向かって喋りながら、半助君のTシャツとスウェットを出した。
少し躊躇ってから振り向いて、何も言わずにベッドに置いた。
半助君も何も言わない。
怒っているわけではなさそうだけれど、機嫌がいいわけでもないだろう。
どうすればいいのか分からなくなって、炬燵の上に置いていたスポーツドリンクを開けて口に含んだ。
氷が落ちていくような冷たさが、喉を通って胃に落ちる。思わず首を竦めた私に、半助君が静かに手を差し出した。
私はペットボトルを渡し、彼の隣に座った。
スポーツドリンクに口を付けた半助君は、僅かに顔をしかめた。
きっと、思ったより冷たかったのだろう。
暗い部屋で、お湯の沸く音を聞きながら、半助君の喉仏が上下するのを見ていた私の手から、彼はキャップを取り上げた。
ペットボトルに蓋をして、炬燵の天板に置く。
「……怒ってる?」
「いいや」
私の剥き出しの膝に、半助君の手が乗った。温かな手で膝を引き寄せながら、彼は私に寄りかかる。
私は半助君を抱き締めた。
「名無しさん」
夜空から舞い落ちてくる雪のような声は、私の胸元で融ける。
ぼさぼさの髪に顔を埋めながら、ベッドに倒れた。
ぐらぐらと、お湯の沸き立つ音がする。
「考えてた」
ぽつりと半助君は言った。
「何を?」
「クリスマスのこと」
声色で、初めて会った日のことだと分かった。でもそれ以上のことは分からない。
シャツの内側で長い指が蠢いて、私は静かに目を閉じた。
「半助君、ごめんね」
「何が?」
「……全部。私……」
もういい、と言いながら、半助君の唇が私の言葉を遮った。
私たちを隔てるものは何もないはずなのに、とても遠くにいる気がした。私が半助君から遠ざかったのだろうかか、彼が私から遠ざかったのだろうか。もしかしたら本当は、初めから近付いてなどいなかったのかもしれない。
確かなのは、あの日からもう一度やり直せたら、私と半助君はもっと上手くやれるはずだということ。
少なくとも、私はそう信じている。