「名無しさん、落ち葉を掃除しておいてくれ」
「はーい」
 父にそう返事をして冷たい風の吹く家の外に出ると、同じ長屋の住人と目が合った。
「こんにちは」
 長身の男性に、にこやかに挨拶される。
「こ、こんにちは」
 彼は確か、土井さん。まともに顔を合わせたのは初めてだ。
 近所のおばちゃんからの評判はよくない。いつも家を空けていて、町内の行事には参加しないうえに、よく分からない人がしょっちゅう訪ねてくるせいだ。
 だから、私もあまり良い印象は抱いていなかった。でも、夕闇の迫る薄暗さの中でも分かる。とても素敵な人だってことが。
「寒いですね……掃除、ご苦労様です」
 優しく微笑まれて、ついつい掃除の手が止まる。
 何か気の利いた文句を、と思ったのに結局うまく言葉を返せなくて、会釈だけをしてほうきを動かす。

 彼は誰かを待っているようだ。女の人かもしれないと思うと、胸がちくりと痛んだ。
 前方をじっと見る凛々しい横顔が白い息を吐く。

 不意に、彼が手を挙げた。
「おーい、きり丸」
「土井先生! 何してんすか?」
 少年が小走りにやってきた。
 土井さんと一緒に住んでいるのは弟だと思っていたけれど、どうやら違うみたいだ。先生って呼ばれていた。
 土井さんは何者なんだろう。
「おまえを待ってたんだよ。雪が降りそうだから、いつ帰って来るものかと心配してたんだ」
 きり丸くんは一瞬驚いたように目を丸くしたけれど、すぐに照れくさそうに笑った。
「やだなぁ、雪くらい平気っすよ」
「そうか。さあ、家に入ろう」
 きり丸くんの背中に添わせた手がとても優しく、同時に頼もしく見えた。親子のような、兄弟のようなやりとりが、何故だか羨ましくなりながら彼らの背中を見送った。
 仲間外れにされた気分になりながら、小さくため息をついた。
 かき集めた落ち葉から顔を上げると、少し困ったような笑顔を浮かべた土井さんが立っていた。
「名無しさんさん、冷えてきたから……早く中に入った方がいいですよ。風邪に気をつけて」
「……はい」
 自分の頬が赤くなるのが分かった。
 土井さんは、どうして私の名前を知っているんだろう。
 少しは気にかけてくれてるのかな。もしかしたら、親しくなる機会があるかもしれない。次に会ったら、私から声を掛けてみようかな。
 そんな私の背中を押すように、ちらちらと雪が降りだした。