干した洗濯物から顔を上げると、土井さんがいた。
同じ町屋に住んでいるにもかかわらず、彼を見かけるのは極稀なことだ。
「おはようございます」
突然、土井さんに笑顔を向けられて、戸惑ってしまう。
「お、おはようございます」
どきどきと鳴る胸の鼓動を誤魔化すように笑みを返したけれど、きっと引き攣っていたに違いない。
「昨日……」
冷えた手指を擦り合わせながら、ゆっくりと口を開いてみると、土井さんは相槌を打つかのように柔らかく目を細めた。
それに安心して、話を続ける。
「大変そうでしたね、洗濯物……沢山」
「ああ、見られていましたか。きり丸が請け負ってきてしまったので、仕方なく」
と、土井さんは恥ずかしそうに言う。
なんだか、年上なのにどこか可愛いらしい人。
「いつも、お留守にされてることが多いんですね」
「ええ、そうなんですよ。もしかして、何かご迷惑をお掛けしてますか?」
「いえ、まさか。全然です」
慌てて否定した。
確かに、ご近所さんたちは土井さんに対する不満を色々と漏らしてはいるのだけれど、迷惑というほどのことでもない。
だが、私の意見はおばちゃん方の意見とは、かなり食い違いそうだ。
「それならよかった」
土井さんは胸を撫で下ろす。
町内行事に参加しないことなど気にしていないのかと思っていたが、案外そうでもないらしい。
もしまたおばちゃん達の間で土井さんへの不満が出たら、少し庇ってみるのもいいかもしれない。それで彼が幾らか暮らしやすくなるのなら、
でも、どうして留守ばかりなのだろう。
「お仕事、ですか?」
「はい」
「……どんなお仕事をされてるんですか?」
仕事を聞けば、土井さんがどのような人なのか、普段どのような生活を送っているのかを垣間見ることができるように思えた。
「いやぁ、大した仕事ではないですよ」
と、土井さんは笑った。
それはあまりに明朗で、拒絶が含まれているような気がした。
「すみません、買い物に行かないといけないので。名無しさんもお忙しいでしょう」
「あ……私も買い物を頼まれているので」
まるで一緒に行きたいみたいだ、と気が付いて、急いで取り繕う。
「その前に、繕いものがあったんだ……忘れていました。それでは、また」
会釈をして立ち去ろうとする私を、土井さんは呼び止めた。
「一緒に行きませんか?」
「……え?」
「買い物、よかったらご一緒しませんか。繕いものが終わったら、声を掛けてください」
静かに言って、彼は口を閉ざした。
沈黙の中、返事を求められているのだと気付いて、私はおもむろに口を開いた。
「はい」
蚊の鳴くような声で、そう言うのが精一杯だった。けれども土井さんには伝わったようで、彼は満面の笑みを見せた。
「では、また後ほど」
土井さんは家の中に姿を消し、私はほうっと息を吐いた。
見上げた空の薄い青が、期待と共に静かに胸に広がっていくようだった。