ハイミルク

 午後の日差しが暖かく、眠くなってくる。
 筆を持ったまま、ぎゅっと目を瞑ると、黒板に向かっていた土井先生が振り向く気配がした。
「というわけなんだが……苗字、分かったか?」
「は、はいっ」
 多分、と付け足すと土井先生が困ったように笑ったので、申し訳ない気持ちになってしまう。
「あ、えっと……復習したら大丈夫です。もし、それでも分からなかったら……質問に伺っても構いませんか?」
「もちろん。二週間分を取り戻すのは大変だからなぁ」
 風邪をひいて寝込んでいた私のために、土井先生は特別に補習授業を行ってくれている。他の先生方には、級友がとっておいてくれたノートを片手に質問に行った。
 最後の最後に土井先生を捕まえると、少し悩む素振りをしながら「補習授業をしようか」と言ってくれたのだった。
「お忙しいのに、ありがとうございます」
「いや、これも仕事だから」
 仕事。当たり前の言葉が、期待を打ち砕いた。もしかしたら、ほんの少しくらいは先生も私のことを、なんて思っていたのだ。
 気を取り直して、机の下から小箱を取り出す。
「土井先生、これ……」
「それは?」
 問いながら、先生は首を傾げて私の斜め向かいに座る。
「お饅頭です。補習授業のお礼に、作ったんです。よかったら召し上がってください」
「お礼って……仕事だから」
 困ったような声。
 机の上に乗せた箱はぽつねんと、誰かの手を待っている。
 あ、泣きそう。
 だめだめ。こんなことで泣いてたら、くの一になれない。ぐっと歯を食いしばって下を向き、どう言おうかを考える。
 忍たま相手なら余裕なのに、相手が先生で、それも好きな人だと、授業で習ったことが全く活かせない。
 箱のことには触れずに、笑顔で補習のお礼を言ってしまおう。それで教室から立ち去ればいい。そうしよう。
 そう決意して心の中で頷くと、土井先生の声が降ってきた。
「やっぱり、ありがたく頂くよ。丁度お腹も空いているし」
 顔を上げると、土井先生はいつもと変わらない笑みを浮かべていたのでほっとした。
「苗字も一緒に食べよう」
「はい! お茶淹れてきます」
 勢いよく立ち上がった拍子に、筆が転がった。
 このまま落ちたら、机や床を汚してしまう。
「おっと」
 慌てて伸ばした指先が、先に筆を掴んだ土井先生の手の甲に触れた。
 すぐに手を引っ込めればよかったのだけれど、そうする前に私は固まってしまった。
 土井先生も動かない。
 熱いのは土井先生の手なのか、私の指先なのか、段々と分からなくなってくる。居たたまれなくなり目を閉じる寸前、筆が机に落ちる音がした。
「……ごめん」
 土井先生は筆を拾いながらそう言った。
「机が汚れてしまったな」
 心底困ったように呟く後ろ姿に、私は希望を見いだしてしまう。
 忍術学園を卒業する日は近いけれど、その後ももう少し頑張ってみようかな。
 そう考えながら土井先生の隣に膝をついて、懐紙を取り出したのだった。