冷たいな

 部屋の暗さが、北風の吹き荒ぶ音を強調する。
 名無しさんが布団の中で足を擦り合わせていると、すぐ隣の布団から半助の声がした。
「名無しさん、眠れないのか?」
 半助は眠っているとばかり思っていたので、名無しさんは驚いた。
「足が冷えちゃって」
 囁くように答える。
「すぐ温まるから、大丈夫」
 本当はどうやっても温まりそうにない程に冷えているのだが、そのうちなんとか眠れるだろう。
 薄ぼんやりと見える半助の顔が、笑みを浮かべた。
「ほら」
 言って、半助は自身の掛け布団の端を持ち上げると腰の辺りまで捲った。
「ほ、ほら……って……」
 か細いながらも素っ頓狂な名無しさんの声に、半助は笑いを噛み殺している。
「おいで」
「ええっ……き、きりちゃんが」
 首だけを起こした名無しさんは、離れたところで眠っているきり丸と半助を交互に見る。
 たじろぐ名無しさんの様子に、半助は呆れた声を出す。
「添い寝するだけだ」
 でも、と渋る名無しさんの布団に長い腕が伸びて、彼女の腰を抱いた。
「いいから、早くしろ」
 そのまま半助の布団に引き寄せられ、すぐに掛け布団で覆われる。
 名無しさんは行き場のない両手を胸の前で小さく握った。
 額に触れているのは鎖骨か。名無しさんがそう考えたのと同時に、半助の足が彼女の冷えたそれを上下から挟んだ。
 うひゃあ、と頭の上で聞こえる。
「えらく冷たいな、氷みたいだ」
「半助さんまで冷えちゃうでしょ……やっぱり戻る」
 申し訳なく思って身じろぎすると、半助はしっかりと名無しさんを抱きしめた。
「いいから」
 静かにそう言う。
 半助は名無しさんが逃げだそうとしないことを確認すると、彼女の片手を取って自分の背に回す。それが合図のように、名無しさんは半助の胸に手を添えた。

 半助の指が名無しさんの髪を梳く。
 指先がやわやわと地肌に触れたかと思うと、するりと髪の間を滑る。
 温かく心地よい重みと肌触りに、不安も悲しみも全て溶けて無くなりそうに思えた。これほど安心できる場所は他にない。
 幸福感に包まれて、名無しさんは思わず溜息を吐いた。
 くすり、と半助が笑った。
「幸せそうだな」
 顔を上げると、半助は優しく名無しさんを見つめていた。そのとろけそうな笑顔に、同じ幸せを共有しているのだと分かって名無しさんは嬉しくなる。
「幸せですよ」
 名無しさんは半助の胸に顔を埋めた。しがみつくように、回した腕に力を込める。
 匂いも、体の厚みも体温も、全部覚えておこう。
 また暫く会えなくなる。
 大好きな人の腕の中にいるのに体の底から沸き上がる寂しさを押し止めようと、名無しさんは大きく息を吸う。
 すると、半助が僅かに体を離した。
「名無しさん」
 半助は長い指で名無しさんの顎を持ち上げた。目を合わせたまま彼女の顔にかかる髪をよけ、額に唇をそっと押しつける。
 もう一度額に、次は頬、そして瞼に、半助はゆっくりと口付ける。
 まるで壊れものを扱うように優しくされて、名無しさんは喜びと切なさで泣き出しそうになった。
 だが、涙を落とす代わりに、伸び上がって半助に口付けた。
 二度、三度。軽く触れ合って、口付けは更に深くなる。

 気付くと、名無しさんは半助の下になっていた。
「んっ……半助さん」
 僅かな隙をついて半助の唇から逃れると、両手で彼の胸を押しやった。
「だめか?」
 荒い息で、半助は問う。
 名無しさんは露わになっていた左肩を夜着で覆いながら、精一杯の抗議をする。
「すぐ、そこで……きりちゃんが寝てるんですよっ」
 溜息を吐きながら、半助は脱力したように名無しさんにのし掛かると、彼女の首筋に顔を埋めた。
「起きないだろう……多分」
 耳元から聞こえる投げやりな声に、名無しさんは必死に首を振った。
 そのまま無理矢理に半助の下から抜け出すと、自分の布団へと戻る。
「冷たいな」
 半助の言い種にむっとしながら足を入れた布団は、驚くほど冷たかった。
 早く温まらないだろうか。名無しさんは半助に背を向けたまま、顔半分まで布団に潜って縮こまった。
 眠ってしまおうと目を閉じると、風の強さが気になった。
 すきま風が耳障りだが、一人きりの夜には不気味に響くそれも今夜はただの不快な音でしかない。
 きり丸の寝息も小さく聞こえる。
 半助はもう眠っただろうか。
 顔を後ろに動かそうとした途端、静かな声が降ってきた。 
「そっちに少しつめてくれ」
「半助さんっ」
 名無しさんが叫ぶように声を上げたので、半助は苦笑混じりに彼女の口を手で覆った。
「静かに」
「だ、だめですってば」
 半助の手を口元からどけながら、名無しさんは首を横に振る。
「添い寝するだけだ。約束する」
 そう言って、半助はするりと布団に入ると名無しさんを背中から抱きしめた。
 半助の体温を背中に感じて、名無しさんは再び幸福感に包まれる。
 半助は今も同じ気持ちでいてくれているだろうか。
 名無しさんが口を噤んだまま半助の手を取り、確かめるように指を絡めると、それに応えるように半助の手に力が込められた。
 名無しさんは満足して目を閉じ、小さく囁く。
「おやすみなさい。半助さん」
 彼女の頭のてっぺんに、半助の唇が優しく触れた。
「おやすみ、名無しさん」