「えっと……昨日も教えたよね?メモ取った?」
新人ちゃんはもじもじと頷く。地味で真面目そうだから仕事もしっかりしてくれるだろうと、この子を採用した人事の目は節穴もいいところだなぁ、なんて思う。
「いいよ、もう一回教えてあげる。メモできるよね?私はすぐ勝手に覚えちゃうタイプなんだけど、そうじゃないと何回もメモ見なきゃいけないから大変だよね。」
入ったばかりだからフォローしてあげて、もっと優しくフォローしてやりなよ。フォローフォローとみんなうるさい。できない子のフォローをしてあげている私のフォローを誰かしてくれてもいいと思うのに、私は仕事ができると思われているために――実際できるのだけれど――私の前に救世主やヒーローは現れないのだ。
そんなやってられない日に救ってくれるのは、結局お酒だけなわけ。
「やっと来た!遅いよ、半助ー!」
「もうそこそこ飲んだんだな。」
「は? まだビール3杯目だし。」
「ほどほどにしてくれよ」
半助は大学の同期。
同期会は夏と冬の年二回あるけれど、時々こうやって半助だけを呼んで愚痴を聞いてもらう。
友達だから彼氏がいた時もいない時も会っていたし、彼氏の愚痴も散々聞かせた。半助はほとんど飲まずに私の相手をしてくれて、記憶がなくなっていた朝も私はちゃんと服を着たまま自分のベッドで眠っていた。
間違いが起こっても相手が半助ならいいかと思っていたけど、半助には学生時代からずっと彼女がいるせいか、私たちがそんな雰囲気になることは一度もなかった。
半助の彼女も交えて3人で飲んだことも何度かあったけど、私は派手に見られて誤解されやすいタイプのせいか彼女にも嫌われてしまったようで、「彼女さんもどうぞ」とわざわざ言ってあげても今では半助しか来ない。
「もうさーやってらんない。若いからって甘え過ぎなんだよね!何でも許されると思ってんじゃねーよって!」
ビールのジョッキをドンッとテーブルに置く。
「主任は主任でうるさくてぁ。私が仕事できるからって、それ以外のところでいちゃもんつけてくるんだよ。信じられる?」
「そうか……大変だな、苗字も。」
「確かに私もちょっと派手めのネイルしてたけど、禁止されてないし仕事はしてるんだからいいじゃん?えっ、もしかしてセンスないからって嫉妬ですか?って思っちゃうわぁ。行き遅れのブスのくせに。」
今日のネイルも可愛いでしょと、半助に見せてあげても反応は薄い。好みじゃないのかな、甘くて可愛いピンクにパールがついててお気に入りなのに。
そっか、教師だしネイルを見慣れてないから褒め言葉が浮かばないのかもしれない。半助の彼女もしなさそうだからなぁ。
「お洒落に興味ない子はいいよねぇ。ネイルも服も髪にもお金かからないし真面目に見えるし得だよね。半助の彼女さんもそのタイプだよねぇ。」
「……そんなことはないんじゃないかな。」
「えーそうだよ。先月、駅で半助と彼女さんに偶然会ったじゃん? 彼女さん黒髪のおかっぱ寄りのボブだし素朴な格好だったから、田舎の中学生みたいですっごく可愛いかったよ。あーあ。私ももっと真面目な格好が似合うタイプだったらなぁ~お金かからなくていいのに。でもあれだよね、彼女さん、半助とはちょっと釣り合ってないかもね。」
正直ずっと釣り合ってない2人だなって思ってたよ。半助は可哀想だなーって。優しいから告白されて断れなかったんでしょ。きっと自分から振ったりしないんだろうな。だからあんな子と何年も付き合ってるんだろうね。
「半助ももうちょっとお洒落したらさ、もっとモテると思うよー。素材はいいんだから、言ってくれてれば服選び付き合ってあげるのに。」
3杯目の焼酎を頼みながら気が付いた。もしかして彼女が恥かかないように半助は合わせてあげてるのかな、って。
私も好きでもない男と付き合ったことくらい何回かあるから分かるけど、好きじゃない相手に好かれるのも段々苦痛になってくるんだよね。やっぱり好きになった人と付き合うべきだなって思うから、そろそろ半助も彼女から自由になって本当に好きな人と付き合えばいいのに。
「半助だってさぁ、本当は仕事ができてお洒落な彼女の方がいいでしょ?家で煮物作ってそうなタイプじゃなくてさ、綺麗で自慢できるような子がいいじゃん?酒の席なんだから本音でいいって。言ってみ?」
半助は黙ってビールを飲んでいる。半助も真面目だなぁ。2人きりなんだから、遠慮しないで彼女の悪口とか言えばいいのに。どうせ半助の彼女もうちの会社の新入りと同じタイプでしょ。
「ほらっ、彼女の愚痴聞いてあげるって。」
「苗字、飲み過ぎじゃないか?」
「ビールはお酒に入りませーん。だからまだ3杯目ですぅ~」
焼酎のグラスを掲げて揺らすと、こぼれたお酒が半助の頭にかかった。
「あっ、ごめんっ」
「いい。自分で拭く――」
申し訳ないから強引に半助の肩に手をかけて髪を拭いてあげる。淡く香りをつけたハンカチから甘い匂い――この香りは元彼たちにも好評だった――がする。
半助と至近距離で目が合って、彼は私の手首をパシッと掴んだ。
「えっ」
調子に乗りすぎて半助を刺激しちゃったかもしれない。一晩だけならいいけど、半助とはずっと友達でいたいから本気の告白なんてされたら困ってしまう。どうやって断ろうかな、傷つけたら可哀想だ。
でもキスくらいは許してあげてもいい。ずっと私のこと好きなのに私と友達でいようとして、正反対のタイプの彼女を作って我慢してたんだから。気づかない振りしててあげたけど、本当は分かってたんだよ。でも半助がどうしても私じゃないとダメだって言うなら、少しは考えてあげてもいいかもしれない。
「いい加減にしてくれないか。」
「え?」
「同期だからと思うと言い辛かったんだが、正直言って苗字に呼び出されるのは迷惑なんだ。」
「え?半助、酔った?」
半助が私の手を離す。
「私の恋人を馬鹿にするのもやめてくれ。」
「別に馬鹿にしてないけど。私ほんとのことしか言ってなくない?……飲むの半助も楽しんでると思ってたけど。」
「そうだったらよかったのかもしれないが……。」
半助は財布から一万円札を取り出してテーブルに置いた。
「お釣りはいいよ。今日で最後だから。」
何が起きているのか分からなくて呆然とする私を残して店を出ていく。我に返って慌てて支払いを済ませて半助を追う。
こんな誤解したままで暫く会えないなんて嫌だもの。
「半助!」
駅方面に向かう半助を見つけて呼んだのに振り返らない。聞こえてないのかな。追わせたいのかもしれないけど、お酒を飲んだ後に高いヒールで走れるわけないんだからもっとゆっくり歩いてくれればいいのに。
カツカツとヒールを鳴らしてようやく追いつく。半助の袖を引っ張ると彼は私を一瞥した。
「……飲まなくていいのか?」
「半助、素直になったら?」
彼は足を止めてじっと私を見た。
「何が?」
男のくせにどうして私に言わせるんだろう。
「告白待っててあげたのに。半助から告白してきたら、考えてあげてもいいかなって思ってたんだよ?」
「冗談きついな。」
半助は苦笑いした。
「苗字を好きになるわけないだろう。」
そう言って半助はまた駅に向かって歩いていく。
なんで半助は急に冷たくなったの?もしかして嫉妬した彼女に何か吹き込まれて、それを信じてるのかな。それなら半助の目を覚ましてあげなくちゃ。
「半助、美人より地味な女の方が性格悪いって知ってる?」
「美人?」
「彼女に何か言われたんじゃないの?私と会うなとか……どうせ浮気を疑われたとかでしょ。半助逃がしたら次がないって思ってるから彼女、束縛激しいんじゃない?そんな女とは別れなよ、半助のためにならないよ。」
半助はまた足を止めて困ったように眉尻を下げた。
「私のため、か。」
「そうだよ。」
「…………苗字がいつまでたっても名前を覚えてくれない私の恋人は、美人ではないがいい子だよ。今日だって快く送り出してくれたし、申し訳なくなるくらいに私を信用してくれてる。……彼女と来年結婚する。」
「嘘でしょ……結婚って本気?あの子でいいの?」
「彼女がいいんだ」
騙されてるよ半助。あんな地味で真面目だけが取り柄のつまらなそうな子のどこがいいの。私の方が綺麗でセンスがあって仕事もできるしお酒だって強いんだから、私と一緒にいるほうが楽しいはずでしょ。
こんなに頻繁に会ってあげてるのに私に告白しないなんて、半助ってばおかしいよ。他の男はそんなことないのに、どうして半助は気付かないのかな。私、半助と付き合ってあげるって言ってるんだよ?
「もしかして、子供できたの?」
「違うよ」
「じゃあ何で?」
「例え理由が何であれ、苗字には関係ないだろう」
うんざりした様子で半助は言った。
半助は見る目がない。どう考えたって私の方がいい女だ。その辺の不幸な恋愛をする女とは違う、恋愛経験豊富な私みたいないい女が半助でいいって言ってあげてるのに。恥を知れ。
「次の同期会はどうするつもり?」
「行くよ。同期会は同期会だから」
「よく来れるね」
私がそう言うと、半助は大きな溜息をついた。
「言うまいと思っていたけど、苗字は恋愛する前に性格直したほうがいい」
「え?」
「少なくとも私は苗字といても楽しくなかったよ。昔は困っているなら友達として支えになってやりたいと思っていたが、違うんだって気が付いた。それでも聞いてやるくらいはと考えていたよ……でも苗字の周りの人間の悪口も誰かを哀れんだふりも、苗字の自虐や自慢も、もう聞きたくないんだ。最初から、酒に付き合うのは今日で最後のつもりで来たんだ。」
ごめん、と半助は付け足した。
視界がぐらぐらと揺れる。馬鹿にされてたなんて知らなかった。半助を友達だと思って誘ってあげてたのに。
「私はもう帰るから。苗字も気をつけて。」
半助は私に背中を向けて駅へと向かう。
私は別の店で飲み直そうと、反対方向へ歩き出した。
どうせ次の同期会に顔なんか出せないくせに。だってみんな私の味方だよ?
悲しすぎて「信じてた同期に裏切られた」とSNSに書き込んでしまった。同情されたいわけじゃなくただ吐き出したいだけだから、何があったか詳しく聞かれても困るけど、個別に答えるのも大変だし聞かれる前に書いてしまおう。
「派手なタイプって誤解されやすいよね。そんなつもりじゃなかったのに」
最後にそう書き込んだ。
仕事ができても見た目がよくても、そうじゃない奴らに妬まれて邪魔ばかりされる。こんなに頑張ってる可哀想な私を認めてくれる人はいないの?
周りは雑魚みたいなやつばかりで仕事もプライベートも地獄だ。みんな死ねばいいのに。
いいよね、本当のことを見抜けない人たちって幸せそうで。